付けたし

下の文章に付け足してメモ。


生きているものや人間の姿、制作物に「力」や「美」を感じると書いた。
たしかに他人の生き様のようなものを見ていても、あるいはもしかすると自分に関しても、そういうものを感受することがあると思う。
だが問題は、それを「存在の価値」というようなこと、つまり「存在の比較可能性」みたいなものと混同してしまう場合があるということではないかと思う。
存在の次元においては、人はみな、生きていることの土台が根本から違うはずだから(モナド)、私の存在と他の誰かの存在とを比較するというようなことは、そこでは出来ないはずだ。
だから、ぼくたちが、他人の姿を見ていて、あるいは自分自身のなかに直観する「力」や「美」というものは、それら個々の存在(生存)の価値ということとは関係づけられないものだと思う。
何かまったく違う場所から差し込んでくる光の影を、それら個々の存在の姿を通して、ぼくたちは直観しているんじゃないかと思う。