「憎悪する権利」その他

きのうのエントリーの内容について、ある方から批判のメールをいただいた。個人的によく知っていて、とても信頼している方である。
ここに内容を詳しく書けないのだが、それは、とくに次の一節に関する批判だった。

抑圧や差別を被っている者には、抑圧してくるマジョリティーの集団や社会一般を憎悪する権利があるのだ。なぜなら、抑圧される側は、「抑圧される集団の一員である」というだけの理由で現に苦しめられているのだから。


この部分は、『越境の時』を読んでいて、自分が一番衝撃を受けた箇所について考えるなかから出てきた文章であり、書くまでにかなり心の揺れがあった。結果としてこう書いたわけだが、いま思うととくに「憎悪する権利」という表現は、あまりよくなかったかもしれない。
というのは、この表現では人が「憎悪」という感情を持つことにポジティブな意味があるかのように思えてしまうからだ。
ぼくが言いたかったのは、追い込まれた側の人間は、不幸にして(不特定多数の人を)「憎悪する」という選択をしてしまうことがあっても仕方がない、ということである。ひどい差別を受けてきたマイノリティーが、不特定な「マジョリティー一般」に対して憎悪を向けることは、たしかに幸福なことではないが、仕方のない場合がある。場合によっては、憎悪という感情を燃やすことによってしか自分を保てないほどの苦境に立たされるということがありえ、そうなるような現実はあってはならないことだが、実際にあると思う。
誰かを「憎悪する」ということは、たしかに不幸なことであり、そういう条件におかれるような人をできるだけなくしていく(その根本的な方法として、社会を変えていくという選択がある)ということが、もちろん、もっとも大事なことだろうと思う。しかし、現実の世界では、やはり「憎悪」をもたざるをえない人たちは生じるのであり、その憎悪を、好ましい感情でないとか、(不特定多数の人を対象にすることは)理性的でないといった理由で否定するだけでは、変えるべき現実があるということを見えなくしてしまうことにつながる。
つまり、「憎悪」という反応の仕方は不幸だし、それが不特定多数(マジョリティー集団全体など)に向けられる場合には論理的にも間違っているけれども、それをやむをえないようなものにしているような現実のひずみはあるのであって、それを明らかにして変えていくということが一番大事である。


もうひとつ。そこから来る暴力ということについて。
上記のような理由にもとづく「憎悪」が、その人から見て抑圧者の集団に属するとみなされる誰かある人への(無差別的な)暴力につながったとする。その暴力を受けた被害者には、もちろんその暴力を非難する権利があるし、身を守る権利もある。
この場合、(暴力を被っても)「仕方がない」ということは、発言者であるぼくが自分自身についていえることではあっても、他人に関していえることではありえない。
「暴力」そのものをどうとらえるかということは別にして、抑圧されてると思われる他人の「憎悪」を容認することと、そこから来る暴力をどうとらえるかということとは別の問題だ。人の体や心が傷つけられ、命が奪われるという事柄を、「仕方がない」という一般的な言明で処理してしまうわけにはいかない。
しかし、その暴力の背景に社会的な矛盾がある場合、暴力を告発することと、その背景にある矛盾を告発することとは、両立するはずだ。不当な暴力だから、背景にある社会の問題が考えられなくてよい、ということにはならない。『越境の時』に書かれた裁判闘争も、そうした意味合いを強く含んでいたと思う。


まあ、以上のようなことを、いただいたメールへの返答を書くなかで考えさせてもらったのだが、そもそもぼくにこのような衝撃を与えた『越境の時』の鈴木道彦氏の「差別」や「抑圧」についてのとらえ方を、どう自分のなかで整理すべきか、まだはっきりとは分からない。
ただわりあいはっきりした不満は、氏が、はじめから「集団」や特定の属性の枠内だけで他人の存在をとらえていたのではないかということ、氏が出会った在日朝鮮人たちは、最初から具体的な「他人」たりえていなかったのではないか、ということである。
このことについては、いずれ別に書きたいが、ぼくはそこに、氏をはじめとする60年代の在日朝鮮人と日本人の関係に関わる運動が、その後衰退したり変質していった、本当の理由があるように思えて仕方がないのだ。