歓待とは

歓待のユートピア―歓待神(ゼウス)礼讃

歓待のユートピア―歓待神(ゼウス)礼讃

このなかに入っているジュネについての文章が読みたくて、この本を買ったんだけど、読みはじめてみると、そもそも「歓待」というテーマそのものが、自分にとって非常に切実なものだと思えてきた。
たとえば、こう書いてある。

歓待の星雲、あるいは歓待のさまざまな星雲――というのも、歓待は多様であるのだから――は、われわれの社会に内側からも外側からも浸透している。ただし、この浸透は社会の境界や周辺、あるいは間隙で起こっていることにすぎない。歓待は、社会が自己について抱いている明白な意識やイメージには属していない。(p22)


しかし、これは「社会」に限らず、「自己」一般についていえる「歓待」との関係だろう。
歓待というのは、他者に向って自己を越えるということだと思う。
だが大事なのは、自己を否定することをとおしてそれを行うのは、犠牲ではあっても歓待ではない、ということだ。
自己を肯定しながら自己を他者に向けて乗り越えるということ、それが歓待の本質ではないか。これはパラドックスなのだが、そこにこそ個人の自己にとっても、社会にとっても、本質的な何かがある。
そういうことじゃないかと思う。