続・釜ヶ崎夏祭り

15日は仕事が終わってから、きのうに続いて釜ヶ崎の夏祭りに行った。
公園に着くと、ちょうど相撲大会が大詰めで、たくさんのおじさんや女の人たちが取り囲んで楽しそうに見つめている。その雰囲気は、日本というより、どこか第三世界の国にいるみたいだった。
ぼくからすると、ほんとうに不思議な場所である。


相撲大会の後、昨年から釜ヶ崎で亡くなった人たちの慰霊をするということで、地元の神父さんらしい方が、聖書を読んで祈りをささげられ、音楽が奏でられ、集まった人たちで黙祷する。
このとき、路上などで亡くなった人たちに対して、すごく申し訳ない気持ちになった。
自分は、この人たちをそういう形の死に追いやった側の人間であるという気がした。そういうふうにはっきり感じたのは、このときが初めてだった。
そうおもうと、自分がこの場所に来て、ここの人たちに混じって、それ以上に祭りを楽しんでいるということが、後ろめたくなってくる。だからこの日は、前の日のように、広げられたゴザには座らず、後ろの方にずっと立ってステージを見ていた。
まあそれでも、酒を飲んだり、盆踊りではきのうのように、ひたすら踊り狂ってたのだが。


ただ、この追悼に関して、ひとつ言っておかないといけないことがある。
ぼくは、去年から路上などで亡くなった無名の方々を追悼しているのだと勝手におもっていたが、後で祭壇のようになったところに近づいてみると、最前列に掲げられている何枚もの遺影は、多くが、ぼくでも名前を知っているような有名な活動家の人たちの写真だった。釜ヶ崎や関東で立派な活動をされ、主に80年代に、やくざに殺されたり、抗議の自殺をしたりした人たちである。
この人たちの遺影が、一番前に並べられている。
そのことに気づいたとき、すごく嫌な感じがした。「違和感」などということではなく、強い不快を感じたのだ。
みんな「同志」という呼び名がお名前に付されていたが、この人たちは、こういうふうに扱われるために、立派な活動をして死んだわけではないだろう。
路上などで死んでいく多くの人たちのために、たたかって死んだのだ。
そのことが台無しになる。


なんの関係もないぼくが、こんなことを偉そうに書きたくなかったが、この催しや追悼に関係のある人が、ここを読んでくれている可能性もあるので、あえて書いた。
この日は、8月15日だった。