ジダンの後悔?

マテラッツィジダンに何を言ったかについては、色々な説が飛び交っている。


人種差別的発言も、宗教差別的発言も、性差別や家族への侮蔑も、もちろんいかんと思うけど、ワールドカップの決勝で突然頭突きをかました理由としては、腑に落ちるものではない。これは、立場の違いを越えて、世界中のサッカーファンがそう思っただろう。
第一、そういう種類のことというのは、日頃の試合のなかで、日常茶飯事的に言われてきたんじゃないのか?ヨーロッパのプロサッカーの最前線なんて、そんなものだろう。
なぜ「今このとき」に限って、「我慢できねえ」となったのか、分けがわからない。
そんなに腹が立つなら、試合が終わってから、呼び出して殴ればよかったじゃないか。
だから、マテラッツィの「言説」の分析によって、何か納得のいく答えを見出そうというのは、どうも方向が違う気がする。


それで、サッカー関連の記事をいろいろ読んでみると、どうもジダンという人は、もともと「いつ切れるか分からん」というタイプの性格らしい。

http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/soccer/worldcup/news/20060711spn00m050019000c.html

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/06germany/column/diary/200607/at00009858.html


やっぱりそうなんだろうなあ。
「怒り」の理由は、それなりにきっとあるのだろうが、あのときあの場面で頭突きを食らわした理由なんて、たぶん本人にも分からないのだろう。


サッカーファンには悪いが、ぼくとしては、そういうことの方がなにかホッとする。
「全てを捨てて、不正や侮蔑と戦い、名誉を守った」という説明より、「ああ、またやっちゃったよ」という情けない感想のほうがいい。まあ、とてもそうは言えんだろうけど。
いいことじゃないけど、そういう人もいるのが人間の世界だろう。そういう人は、「よりにもよってこの時」を待って、それをしでかしてしまったりする。


シラクとの会食あたりから、どうもフランス国内では、ジダンの「名誉回復」がすでに始まったようで、バッシングされるよりはいいと思うけど、これもどうかなあ?
反省にひたれるようにそっとしといてあげるのが、一番人情があると思うんだが。