6日の平澤/軍と国民・政権の今後?

昨日ちょっと書いたけど、やはり4日の大きな衝突以後、今回の抵抗運動の中心になっている「汎国民対策委員会」という団体の方針が住民の意思をどれだけ反映してるのかということが、各マスコミの間で議論の焦点になってるようだ。
オーマイニュースのこの記事では、きのう紹介した中央日報の記事で示されていた「対策委員会などの市民団体が住民を扇動している」という言説(いくつかのマスコミだけでなく国防部もこう言ってるらしい)に対する、住民(行動に参加してる)の側からの反論がとりあげられている。
http://www.ohmynews.com/articleview/article_view.asp?at_code=329000


今回の行動は住民の90%の支持を得ているのだ、というふうなことである。


もともと基地拡張のために土地を無理やりおいだされるということが問題であるのに、論点がずれてきているような感じを受けるが、ひとつには軍や政府としては、軍隊が自国の国民と衝突しているという印象を与えたくない、という考えから、間に立つ形の市民団体を悪者に仕立てたい、という思惑もあるのだろうと思う。


日本でもしこういう事態になったらどうか、想像しにくいが、記事を読んでいて強く感じるのは、韓国の場合は徴兵制の長い歴史があり、「国民と軍との一体感」みたいなものが社会全体に深く根を下ろしているということだ。だから、軍ばかりでなく、市民も、マスコミ(立場の違いを越えて)も、この問題には非常にナイーブな対処の仕方をしていると思う。
やはりオーマイニュースの、下の記事からうかがえるのも、そのことである。

http://www.ohmynews.com/articleview/article_view.asp?at_code=329061&ar_seq=1


ここでは平澤に派遣された兵士たちが、世間から自分たちの行動がどのように見られているかを気にかける様子が書かれている。

「私たちはここで TVはもちろん新聞も見られません。 世の中がどう動いているのか分からないのです。 気がふさいでおかしくなりそうですよ。 この野原に電気がつくはずもないし、 夜になったらすることもありません。 小さなテントを張っておいてうずくまって過ごしています。 ここの生活も大変だけど、世の中の視線が一番恐ろしいですね。」

将校は 「5日に民間人と軍が衝突してお互いを敵とする事態が起ってしまい心苦しい」と言い、「住民たちや多くの人々が、私たちを '売国奴'だと思うことがくやしい」と気持ちを明かした。 また彼は、「どんな事があっても民間人と直接的な衝突をしないことが、上部の命令でもあり軍の原則でもあるから、けっして鉄條網の中に入って来ないでほしい」と強く念を押した。


この記事から読みとれるのは、兵士と「国民一般」との心情的な距離の近さ、ほとんど一体感のようなものだ。この記事は、明らかにそういう視点から書かれている。
その一体感を、どんなことがあっても損なってはならないという願いが、兵士の言葉にも、記者の文章にもうかがわれる。もちろんそれは、政治的な要請でもあろう。
じっさい国防相は、衝突の直前に、決して軍は民間人と直接衝突することはない、と公式に言明していた。これには、80年の光州事件の苦い記憶というものも背景にあるのだろう。これ以上衝突が続くことは、なんとしても避けたいはずだ。


一方この記事の後半には、多くの負傷者や拘束者を出したことで、今後どのように行動を続けていくかの道が見出せなくなってきている「対策委員会」側の苦悩も書かれている。


軍と国民との関係という微妙な問題と、アメリカ、米軍の存在をどう考えるかということが絡んで、状況が今後どう動いていくかは、やはり見えない。
ただ、ちょっと思うのは、今回、守旧的といわれる諸マスメディアが国防部とともに市民団体へのバッシングに動いたのを見ると、今回の政策を強行しようとしたノ・ムヒョン政権が、これまでの支持基盤であった市民運動の勢力からある程度離れて、これまで政敵であった「守旧的」と呼ばれる右派の勢力との連携の方へシフトチェンジしていく可能性があるのではないか、ということだ。
つまり、ノ・ムヒョン政権と市民運動との離反が進むかもしれないと思う。もともとこの政権は、経済政策の面では、市民運動、社会運動のある部分とは、すでに強い敵対関係にあると思われるので、自身のあらたな支持基盤を右派(守旧派)との連携にもとめる戦略を模索しているのではないかというのが、最近の「独島問題」への対応を見ていてぼくが感じていることなのだが。