大阪に文化はあるのか、という思い出話

土曜日は、以前バイト先でお世話になって、今も付き合ってもらってる同年齢ぐらいの人と久しぶりに会い、梅田の焼き鳥屋で酒を飲みながら話した。仕事の面とか、家族の状況(長男で独身であることなど)とか、似通ったところが多く、何より同年代ということで、話がよく通じる部分がある。


この日は会うのが久しぶり(一年近く会ってなかった)だったこともあり、いつになく話が弾んだ。話の内容は、家族や雇用についての深刻な話題のほかに、読み終えたばかりの『<野宿者襲撃>論』に関することとか、大山倍達をモデルにした韓国映画の話題とか、ぼくたちの年代は「読書の端境期ではないか?」ということとか、月影兵庫と花山大吉の差異はオバQドラえもんの差異と相似形である(これは、ぼくの持論)とか、日本人のアジア観は日清戦争ですっかり変わってしまったということとか、谷崎と郭沫若の対談は傑作だったということとか、現役時代のバッキーをおぼえてるか、といったことだったのだが、ひとつ驚いたのは、昔大阪球場の地下に梅田のかっぱ横丁よりも大きな古本屋街があった、という話を聞かされたことだった。


この人は古本屋の事情にすごく詳しくて、その昔、いまは電気屋街(というより、メイドカフェとかか?)として有名な大阪の日本橋筋というところに、東京の神田に次ぐような巨大な古本屋街があった、ということを聞かされたときも驚いたものだ。
どうもそこは空襲で焼けたかなにかで、古本屋街のままでは儲からないからということで、電気屋街にしてしまったということらしい。「懐徳堂」の時代からの文化的伝統を、目先の欲に目がくらんで手放してしまったと、その人は憤慨してた。
まあ、大阪らしいといえばらしいけど、なんかそういう「文化」みたいなものをビジネスライクに潰していくことが「商売精神」で庶民的みたいに思われてるのは、全然違うと思う。古本屋とか銭湯とか一杯飲み屋とかは、残していった方がいい。


昔堂島にあった「大毎地下」という数百円で映画が見られる映画館がなくなってしまったときは、ぼくは本当に悲しかった。その頃ぼくは、「年間二百本劇場で映画を見る」ことを目標にしてたんだけど、今ではそんなこと考えられない。そういうのを、「文化を潰す」と言うんだと思う。
この「大毎地下」があった毎日新聞社のビルの一番上のほうの階に、もうひとつ5百円ぐらいで映画を二本見られるところがあり、そこもなくなってしまったが、アート系の作品が多くて、ぼくはそちらの方に頻繁に通った。『戦艦ポチョムキン』とかも、そこで見た。よくおぼえてるのは、エリック・ロメールの『緑の光線』という映画をやった時に、ラストシーンが、あれはすごくいい終わり方だったと思うんだけど、意味がわからないということなのか会場から「ええー!」というブーイングみたいな叫びがあがったことだ。それがものすごく大阪的というか、分からないものを分からないとはっきり言うところが庶民的で好ましい、みたいに言われることが多いが、そういうふうには全然思わない。ああいうのは、大阪のすごく嫌いなところだ。分かりにくいからって、否定してしまったら駄目でしょう。そうやって、分かりにくいものを否定したり潰したりして、結局他所からお客さんが来ても、案内するところがあんまりない町になってしまった、と思う。まあ、大阪だけを責めても仕方ないけど、東京に比べても、そういう部分は大阪はよくないように思う。


ところで、その毎日新聞社のビルの一階か地下に「オリオンズ」という喫茶店があるのだが、なんで「オリオンズ」なのか、若い人には分からないだろうねという話を、その人(生粋の大阪人です)としてたら、大阪球場の地下の古本屋街の話になったのだ。なんでも、品揃えはあんまりよくなかったが、量はたくさんあったらしい。大阪球場は、大阪を代表する建造物のひとつだと思ってたが(あれは、ヤンキースタジアムをモデルにしてたのか?)、それも今は潰されてしまった。藤井寺も。
というか、南海ホークス近鉄バッファローズも、もうないし。