『リンダリンダリンダ』

夕方五時は恐ろしい。


見終わって、「ぶった斬られた」と思った。この映画は、観客を斬り捨ててしまう映画である。その意味は、見終わったとき、自分はなにか大事なものを見落としたのではないか、たいへんな誤解をしているのではないか、といった不安に襲われるということだ。
圧倒的にかっこいい映像の連続で構成された見事な作品でありながら、映画が終わったとき、見捨てられたようにスクリーンの前に立ち尽くすほかない自分自身を、観客は発見する。
得体の知れない感動に包まれていながら、そもそもいま見たことが本当なのか錯覚なのかさえ、分からなくなってしまうのだ。
ぼくはこういう映画を、ほかにあまり知らない。


ストーリーは、ある高校の文化祭を三日後に控えて、部内のいざこざからバンドのメンバーが足りなくなった女子高生たちが、まったくバンド経験のない韓国からの留学生(日本語が全然しゃべれない)をボーカルに引き入れ、不眠不休の練習でブルーハーツのコピー演奏に臨む、という話である。
この留学生の役を、ペ・ドゥナが演じている。韓国の名女優であるペ・ドゥナは今回、失礼ながら、年齢的にはびっくりするような役どころなのだが、彼女自身の芝居で押し切っていた。「韓流のスターが日本の青春映画に客演する」といったものではなく、彼女もまたこの映画で「真剣」を抜いていたと思う。
特にそう思ったのは、映画の中盤ぐらい、徹夜続きでバンドのメンバーたちが朦朧となっていく場面で、彼女の演じる留学生がふらふらと夜の校内を歩き、ステージとなる講堂の壇上に立つシーンである。
この場面全体が、ちょっと晩年のブニュエルの映画っぽい雰囲気を漂わせていて、この映画の白眉といってよいものだ。
前半の、ゆっくりと流れていく白い雲に代表される昼間の光から、上記のシーンを含む中盤の見事というほかはない曖昧な夜の部分へと、この映画は移行していき、最後に大雨が学校に降りしきる荒涼とした光景で終わる。ストーリーとは関係なく、確実な、観客が安心できるような「意味」は何一つ提示されないまま。
つまりそれが、この映画が「青春映画」そのものだといえる理由なのだ。


それにしても、どえらい監督が出てきたもんだ。客に媚びないにも程がある。
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