「反日」及び「反日デモ」雑感 その3

はじめに、昨日のコメント欄でご質問いただいた件ですが、重要なことでもあるので、次回のエントリーで少し詳しく書くことにします(結局、まとまらなかった)。

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昨日の文章を書いた時点では、実を言うと上海でのデモや投石の映像をほとんど見ていなかった。今日、ニュースのなかで伝えられていた映像を見ると、「卵やペットボトル」ばかりでなく、石やレンガなども大使館に大量に投げ込まれており、前の週の北京のデモと比べてたいへん激しい行動に変わってきたように見受けられる。
また、日本料理店や日系の店舗などへの破壊行為も引き続き行われたようだ。


正直言うと、ぼくは大使館の建物がどんな被害を受けようが、けが人が出なければたいした関心はない。だが、店舗の被害もそうだが、一般の中国人や中国国内にいる日本人に被害が及ぶようだと、とてもこの行動を容認するわけにはいかなくなる。
何より、その行動が、日本国内にいる中国人の身を危険にさらす恐れがあるということを、デモをしている人たちは何ら考えていないように、ぼくには思える。
これが、中国がまだ小国であれば、日本の横暴に対する抗議の意思を人々が行動であらわすということは、理解できる。しかし、中国は日本以上の大国であり、しかも、こうした行為を行っている場所は、中国国民が圧倒的多数である中国の国内なのだ。
「愛国」を掲げた集団的な破壊行動は、国内の少数者や、周辺の小さな国の人たちに有形・無形の圧迫を与えないはずがなかろう。
今回の行動が、「マジョリティーの暴力」という側面を持つことは、疑えないと思う。


以下、昨日書き残したこと。


おとといのエントリーの後半では、日本社会と、中国など近隣諸国の社会との間の、歴史的な経験の違いが、文化的な差異をもたらし、そこから双方の国民の想像力の質の違いが生じていて、それが「反日」感情などの齟齬が形成されて政治的に利用されたりもする一因となっているのではないか、という仮説を述べた。
一方、昨日のエントリーでは、「断片化」というキーワードを用いて、中国、韓国、日本、台湾などの社会において、特に都市部を中心に国境を越えた一種の同時代的な状況が形成されつつあるのではないか、とも書いた。
前者は、国と国の間の差異に注目する観点であり、後者はその差異がいまや形骸化しつつあると言おうとするかのような主張である。
この二つの観点は、相反するもの、もしくはまったく無縁なものだろうか。二つの事柄がどう結び合うのか、検討してみたい。


前者について言うと、ぼくが注目したいのは、個人が体験する歴史の出来事ではなく、数百年を越えるような長い歴史の中で形成される各々の社会の構造上の特性ということである。この構造は歴史によって作られ、変化を余儀なくされたり、あるいは保持され続けるものであると同時に、人々の心理や文化・社会における歴史的出来事の受容の仕方を決定する重要な枠組みともなる。
日本の場合、外敵の侵略や支配をほとんど受けずにきたという歴史的事実は、この「歴史的出来事の受容の仕方」に関して、かなり特殊な形式を人々の心の中(物質的に言えば、さまざまな文化装置のなか)に作り上げたのではないか。
それが、「加害者と被害者との意識の差異」といった一般的な文脈とは別に、日本の社会や文化に(ある程度は)根ざした日本のマジョリティーの歴史意識や想像力の質を規定することになったのではないか、ということが言いたいのだ。
そうだとすると、「歴史的な事実」に対する日本国民の「忘れやすさ」や「他者への想像力の欠如」は、実は「文化的な特質」でもある、ということになる。
もちろん、本質主義的な主張をしたいわけではなくて、構築主義的に考えてもこの問題は非常に根が深い、ということを言いたいのだ。
それは、国民国家という近代に固有の枠組みのなかで物事を考えようとするのではなく、その基礎にそれを支えつつ広がっている、いわば「前近代」的な領域を重視する立場である。


おとといのエントリーの①の考え方に関して、ぼくに不満があるのは、それが近代的な個人の意識のレベルでしか、歴史的な出来事や経験を考えていないように見えることだ。
つまりそれは、「文化」のレベルにまで下りて、人々の間の齟齬を修復し協調に導くという観点に欠けていると思う。日本政府の補償や謝罪といった公的な解決がなされねばならないことは当然だが、それは和解のための出発点であって、そこから本当の和解に至るためには、「文化」への、つまり近代的な意識を支えている領域への働きかけが肝心である。


互いに、「文化」という「前近代」的な構造にかかわる特殊性に大きく規定されている、個々の国々の人々が、「歴史問題」や軍縮といった現実的な行動と共に、さらに根本的なところで和解を目指すにはどうするべきか。
それには、それぞれの社会と文化の差異を肯定しあうための、なんらかの理念性をこの地域に打ち立てる必要があるのではないか。しかし、近代的な理念は、ヨーロッパとは異なりアジアにおいては、今日ほとんど失効しているように思われる。
そこで、近代的なものとは異なる別の理念性、たとえばこの地域にかつて長期にわたって存在した普遍的な宗教、仏教とか儒教のようなものを共通項としてここに持ってくるか、あるいは以前書いたように、「理念」をあてにしない身体性のみを媒介にした関係を個々人のレベルから国境を越えて積み上げていくしかない、ということになろう。実際には、この二つの方途を一緒に実践していく以外、道がないように思う*1


一方で、「断片化」は、近代的な装置(主体、理念)の失効に伴って生じた現象である。それは、近代の枠組みがもたらす弊害、たとえば国民国家による人々の分断といった現実を克服する可能性を持つものであり、だからこそ「国境を越えて」同時代的に広がる脱国民国家的な現象という様相を呈するのである。
だが、それが「愛国」に代表されるような大きな力の支配に回収されることなく、「本物の自由」の方向につながるには、つまり「断片が断片であるままに」自由を獲得するには、断片と断片とを「統合を経ることなく」結び合わせるなんらかの「絆」が必要なはずである。
このあたりで、人々の心の「前近代」的な層に働きかけ、互いに変容させていこうとする上記の「文化」的な態度が、「断片化」という「ポスト近代」の問題と、つながってくるのではないかと思う。
いずれにせよ、この二つの観点は、近代的な枠組みの揺らぎのなかで、はじめて明瞭に人々の意識に上ってきたものであろう。


近代的な枠組みが失効しつつある場所で、人と人との「絆」のあり方を模索すること、それは今日世界的な課題だが、とくに東アジアでは、ヨーロッパ出自の理念のほとんどは力を失い、現代的なシステムにとって利用可能な(この点については、明日、詳しく検討したい)愛国的あるいは排外主義的な「理念」だけが力を振るいつつあるのが現状だ。
ヨーロッパ的な理念とは別の、少なくともまったく同じではない、和解と協調のための土台あるいは架け橋を、「文化」と「文化」との間に見出し築こうとするこの地域の試みは、断片化された人々の意識を、強制や管理による統合を経ることなく、「自由」な場において互いに結びつけるための「絆」を探そうとする模索と、どこか本質の部分で重なっている。
まだはっきりと言えないのだが、そういうふうに思う。

*1:実際、地域全体に共通するなんらかの「文化」的な基盤があるのではないか、という考え方はきわめて魅力的ではある