東・高橋

毎日新聞の夕刊に掲載された「W大澤&東」鼎談の「下」から。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080821dde018040068000c.html


東 たとえばベーシック・インカム(注)の考えにひかれます。基礎的な生存権が無条件に保障されれば、ケアや愛も実現しやすくなるはずです。今はNPO職員も給料がないと生きられない。ケアや愛を実行する際の損失コストが大きすぎる。そこが変われば状況は変わってくる。


 20世紀の後半、ハッカーたちは誰にも指示されずインターネットの世界を作り上げた。彼らはたまたま、あまり働かなくて良かった。そして暇だからやったことが、新しい産業や文化の核になった。同じようなことが、あり得るのではないかと思います。

東浩紀ベーシック・インカムに肯定的だというのは知らなかった。
でも、こういう社会像って、マルクスが思い描いてたものとどう違うのか。
ベーシック・インカムが完全に導入されてるような社会では、すでに資本制はある程度乗り越えられてるんじゃないかと思う。
「資本制は(それなりの仕方で)乗り越えられる」という言い方をしても良さそうなものだが、そう言いたがらないのは、左翼的だと思われるのがよほど嫌だからか。


もうひとつ、デリダ研究では東の先生にあたる高橋哲哉に関する記事。
http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/20080810/1218369971

是非、口だけでなく、給料を返上して非常勤講師に回すなり、横にいる無能な準教授は辞職して優秀な方に席を譲るなりしてワーキングシェアを実践していただきたいものだ。


高橋は東大教員として、特権的な位置にあることはたしかだろう。
だが、大事なことは、(その地位についた経緯が不当である場合は別にして)その地位にあって、それに見合った社会的な活動をどれだけやってるか、という風なことだと思う。
今の日本の社会では、(たとえば)「東大教授」というような位置にある者しかできないこと、社会的な発言や行動というものもあるだろう。
ぼくは、高橋哲哉の場合は、それを果たしていると思っている。
だから、彼が特権的な待遇を享受していたとしても、別に(基本的には)かまわない。