ドライヤーの『奇跡』

いま小泉義之の『病いの哲学』という本を読んでいるのだが、この本のはじめの方では、「人間は神の家畜である」というソクラテスの考えが批判的に紹介されている。
それでちょっと思い出したのだが、カール・ドライヤーデンマークに帰ってから作った有名な映画、『奇跡』。(追記あり)


あのクライマックスの場面は、もちろん圧倒的なものだけど、ぼくがこの映画を見たときにすごく印象に残ったのは、この家族は畜産農家で、もっぱら家のなかで展開する話の間中、ずっと家畜(牛)の鳴き声が聞こえていることだった。
それにはなにか宗教的な意味があるのではないかと思ってたが、そうした知識がないのでよく分からなかった。
「人間は神の家畜である」という考え方が、キリスト教、それもデンマークだからプロテスタントの方だろうが、そこにも流れているのかどうか分からないが、なにかそういう意味合いがあると考えると、納得できるような気がする。デンマークは、畜産の国であるわけだし。
そのことと、あの最後の「奇跡」の場面とが、どう結びつくのか、結びつかないのか、ぼくには分からないが。


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追記:思い出してワードを探したら、数年前にこの映画をはじめて見たときのメモが残ってました。つまらない感想で、しかも思いっきりネタバレですが、参考までにくっつけときます。

30日、昨日に続いてシネ・ヌーヴォで、ドライヤーの映画『奇跡』を観た。


1954年に、ドライヤーの母国デンマークで作られた映画だ。
昨日見た『吸血鬼』とあわせて、ぼくの一番強い感想は、ドライヤーの「野蛮さ」ということだ。


『奇跡』の、死者がよみがえる最後の場面は、見世物(エンターテイメント)としての映画が持つ野蛮さと猥雑さが、それまでの信仰と日常についての端正な物語の展開を覆してあふれ出てきているように思えた。
あの少女のアップの映像といい、「すごいものを見せるぞ」という監督の自信と欲望がみなぎった画面の、臆面もなさは圧巻である。


信仰に関するオーソドックスな物語が、最後に超自然的な出来事へと変換する成り行きは、あまりに唐突なのだが、ドライヤーはそれを、最高の映像によって堂々とやってのけるのである。
それがすごいと思った。


映画全体を通しては、やはり「信仰」ということについて考えさせられた。


いろいろと、印象的な台詞がある。
最初のほうで、信仰の深い妻が信仰を持たない夫に、「でも、あなたは大切なものを持っている。それは、心の美しさだ」と言い、「いくら信仰心があつくても、心が美しくなければ意味がない」と語るところがある。
この台詞によって、この映画の内容の大部分は語られているといえよう。


ラストシーンでこの女性の再生を可能にする「信仰」は、上の場面で言われている「信仰心」とはまったく別のものだ。
自分をイエスであるという次男は、「誰も信仰を持っていない」と嘆くが、この映画では、「奇跡を起こす」という次男の言葉を信じた少女以外、誰もが信仰心は持っていても信仰(信じる心)を持っていないのだといえるだろう。


この次男に託して述べられるキリストの言葉、「二千年昔の奇跡を信じても、今目の前の奇跡(キリストの再臨)をみな信じない」とは、そのことに関係した決定的な言葉だが、これはデンマークが生んだ偉大な思想家キルケゴールの思想を思い出させる。
キルケゴールがキリストについて述べたように、この映画では次男の存在が、家族全員にとっての「躓きの石」になっているといえる。


実際、この次男の存在と言葉は、ほのかなユーモアと共に、この映画全体に特別な強い力を与えている。名演であろう。


信仰心と信仰の差異ということは、まことにやっかいだ。
信仰心だけを重視することは、宗教間や宗派間の争いへの執着をもたらし、世俗的な悲劇ばかりを誘発することは確かだ。しかし、人びとの生活にとって信仰がかけがえのないものであるなら、人びとがそれぞれの宗派や宗教の正当性に執着することも、非難してすむことではあるまい。
ただ、「信仰(信仰心でなく)を忘れるな」と、あの次男のように言うことしかできない。


もうひとつ、思いつきだが、キリスト教の世界における、信仰と家畜との関係についても考えた。
この話の中心となる一家は、農場を営んでいて、豚や羊などを飼っている。いろいろな場面で、風の音と共に家畜の声が部屋の中に聞こえてくるのが印象的だ。
「家畜を飼う」ということを基盤にしている社会と文化というのは、ぼくたちには想像のつきにくいところがあるのかもしれない。
それは、「他の生き物」を支配し殺戮しなければ生きていけないという、われわれの生の現実を、日常において意識しつづける、非常に厳しい文化であるという気がする。


                               2003年12月30日