開設一ヶ月を迎えて

このブログもおかげさまで、一般に公開してからちょうど一ヶ月を迎えることができた。この間お世話になり、また勇気づけてくださったみなさんと、一度でも拙文に目を通してくださった方々に、こころから感謝したい。


始める前は、もちろんブログなるものの存在は知っていたが、どのぐらいの数の人がおこなっていて、どんな種類のものがあり、全体としてどんな仕組みになっているのかなど、さっぱり分からなかった。今おもうと、霧深い大洋に何の備えも知識もなく小船で漕ぎ出したようなものである。
ごく最近分かってきたのだが、ここ日本には、大小を含め膨大な数のブログが存在しているらしい。まるで、おびただしい星雲でうめつくされた宇宙空間のようだ。
ぼくは何度か、現代社会の「タコツボ化」ということを書いてきた。たしかにブログも、(特にぼくのものなど)孤立して閉じこもった無数のタコツボのようにも思えるが、それらがひとつながりの見えない社会空間のなかに隣り合って存在しているということも、空恐ろしいことながら事実であろう。


これも最近、有名といわれているブログを、いくつか拝見することができた。その多くは、情報量とその提供のスピードにおいて、ぼくの想像をはるかに越えるものだった。多くの人々の注目を集めることもうなづける。情報提供という意味からいくと、ぼくのブログなどは、無価値にも等しいものだろう。それだけに、これまで貴重な時間を割いて読んでくださった方たちへの、感謝の念は深まる。
しかしそれ以上にかんじたことは、有名無名は別にして、いくつかのブログに書かれている文章の、読み手の胸を打ってくる力強さだ。読みながら「ああこれは、ぼくには書けない」と溜息の出たことが何度となくあった。いわば物書きのプロの方の運営しているブログに、そのような文章が多いことも事実だが、もっと身近な友人たちのブログを読んでいても、その文章の力強さや真実さに圧倒され、自分のブログの空疎な文章と内容を恥ずかしくおもうことがたびたびだ。
そして、自分もブログをはじめた以上、そのような文章を書いて、人にたしかな何かを伝えられるようになりたいと切実におもう。


このことは、パソコンの前だけのことや、文章を書くときだけの努力で成し遂げられるものではないであろう。
しかし同時に、そうした直接の技術的な努力の積み重ねなしに達成される事柄でもないとおもう。


ぼくの、ブログに関しての最終的な願いは、上の文章で無数のブログが散らばっている状態を宇宙空間にたとえたが、この形をして存在している現代の人々の心に伝わるような言葉を編み出し、それを他人に届けるということだ。
自分にその能力があるかと問われれば、現時点では絶望的におもえる。さきほども言ったように、他の人たちの文に比較するとき、いまの自分の言葉は空疎で弱い。
しかし、自分なりの言葉を編み出す努力は続けるべきであるし、いまそのためにブログという具体的な場が与えられていることは、僥倖に他ならないとおもう。この僥倖を支えてくださっているのは、もちろん一度でもここを読んでくださる読者の皆さんなのだ。誰かの目にふれるかもしれないという可能性が、ぼくのこの努力を可能にする。


多くのブログの書き手たちの、力強さに満ちた文章は、立場や年齢や思想信条の違いを越えて、ぼくに勇気を与えまた震撼させる。「タコツボ」というよりも、一種塹壕のようなものかもしれない。顔は見えぬが、隣で凛として暗黒の空間に向かって奮闘している人間の、確かな息づかいこそが励みとなり、希望となるのだ。
そうかんがえると、わが身の力量もかんがえず、大それたことをはじめたものだという思いはいっそうつのるのだが、いまから岸へ引き返す口実もさしあたって見当たらない。
一人でも通ってくださる方がいる限り、ぼくの力の及ぶところまで、この宇宙の片隅の小さな庭を手入れし掃き清めていくしかあるまい。


今後とも、よろしくお願いします。