奉献の構造

天皇制と天皇の存在は、今でも日本の社会や、日本で生きる者(特に日本国民であるが)の心のあり方を強く規定していると思う。少なくとも、僕自身はそのように自覚している。
たとえば、かつて原発が多大な犠牲を伴いながら数多く作られ稼動し、大事故を起した後も、なおそれが教訓となることなく、むしろその出来事は封印され忘れられ、人々に被曝が強制されながら原発体制の存続が容認されようとしているというような現実。
この一事をとっても、僕はそこに天皇の存在との深い関わりを思ってしまうのである。
以下では、折口信夫が戦前(昭和三年)に行った幾つかの講演の記録を参照しながら、そのことについて、少しだけ考えてみたい。


さて、これらの講演のなかで折口が強調していることの一つは、神の言葉を伝える「みこともち」としての天皇、という捉え方であるが、とりわけ興味深いと思うのは、天皇がこの神の言葉を(例えば年始に)発することによって、時間も空間も原始の状態へと復して蘇生する(あらたまる)という論理である。

みこともちをする人が、その言葉を唱えると、最初にそのみことを発した神と同格になるということを前に云ったが、さらにまた、その詞を唱えると、時間において、最初それが唱えられた時とおなじ「時」となり、空間において、最初それが唱えられた処とおなじ「場処」となるのである。(「神道に現れた民族論理」 中公クラシックス折口信夫 古代研究? ―祝詞の発生』p109)

商変のみのりの思想は、察するところ、春の初めに、天皇陛下が高御座(たかみくら)に上って、初春の頌詞を宣(の)らせられると、また、天地が新(あらた)になるという思想から、出ているのであろう。後にはこの宮廷行事が、ご即位の時だけしかなくなったが、
高御座は、天皇陛下が、天神とおなじ資格になられる場所である。一たびそこへお登りになれば、その宣らせ給うお言葉は、ただちに、天神自身の言葉である。そしてそのお言葉が宣られることによって、すっかり、時間が元へ復(かえ)るのである。(「神道に現れた民族論理」 同書p112)


「言葉」が発せられるたびに、時間が元へかえってしまう(いわば、サラになる)のでは、過去の行為や出来事を心に刻んでおくということにはなりにくいであろう。
それも現在の社会や国家の一部分をなす文化的特質であるにすぎないと言われるかも知れないが、先に書いたように、こうした傾向は、今を生きる僕たちの内面や社会のあり方のなかに、根深く刻まれているようにも思えるから、厄介なのである。
こうした文化的特質が良い方に働くということもないではないだろうが、現代の社会のなかで生きていくのに欠かせない、他の文化を有する人たち(必ずしも、多民族や他国民ということを言ってるのではない)との関わりの場においては、これが権力と結合して、一つの暴力として働くことにもなりかねない。
現に、天皇天皇制というものは、近代以後はそのように働いてきた面が圧倒的である。
これはたんなる文化的特殊性ではなく、政治的情動の問題だと思うのである。


原発事故を含む東日本大震災発生から一周年の追悼式でも、天皇の「おことば」が述べられたし、最近では「おことば」は非常に大きく報道される。
http://www.asahi.com/national/update/0311/TKY201203110147.html

この動きを指して、象徴天皇が政治的発言を行うことが問題視されることがあり、それももっともだと思うが、ここで書きたいことは、「おことば」にはそれ以前の、折口が分析したような宗教的とも呼べる意味合いがあり、いわば天皇を中心としたその宗教的な統治の再確立ということが、メディアを活用して図られているのではないかという疑いである。
これはもちろん、われわれの側に、個人という意味もあるが同時に社会全体の情動のようなものとして、その宗教心が無意識に孕まれていなければ、達成されえないことであろう。


折口によればさらにまた、天皇の発する言葉の向けられた土地や人が天皇の領土・人民として画定されてしまう、という論理にもなっているらしい。
正月に行われるという「春の祭り」で天皇が唱える詔書の書き出しの詞について、このように書かれている。

かくのごとく、国内に対しては大八州天皇といい、外国には御宇日本天皇というのである。(中略)
 その意味は、大八州は皆私のものだ、という意味である。そして、御宇日本天皇というのは、この詞を受ける人は、皆日本の天子様の人民になってしまう、という信仰上の言葉である。支那に対しては、言えなかった。朝鮮にのみ用いられた。朝鮮の任那の国をば、内屯倉(ウチミヤケ)とよんでおった。うちみやけは、朝廷の御料を収めておく処という意味である。
 初春の詔書の全体の意味は、即位式詔書の意味と、全く同一である。内屯倉は、天子様のお言葉の勢力が及んだ証拠で、この大八州天皇とか、御宇日本天皇とかいう言葉を聞くと、もう、人々の心も身も、天子様のものになってしまう。後にこそ、大八州・御宇日本と分けて用いられているが、語の及ぶ効力は同一で、その間に、少しの距たりも無かったのであろう。すなわち、この語の及ぶ範囲が、天子様の御領土ということになる。(「大嘗祭の本義」 同書p150)


昭和三年に行われた講演の記録であるこの文章においては、当時の日本と朝鮮半島との関係を考えながら折口が語っていることは間違いないだろう。
だがそれだけでなく、天皇が発する「おことば」には、領土を統治するという意味が込められている。大震災の被災者や、放射能汚染された土地の人々を思う天皇の発言も、当然ながら一個人の感想として報道されているわけではなく、支配者のまなざしにおいて発せられたものとして世に広められているのであり、「天皇の国土」というイデオロギーを人々によりいっそう内面化させることが、その狙いであることは明らかだと思う。


さらにもう一箇所、とりわけ重要と思える折口の指摘に触れておこう。
それは、魂を捧げるという行為、いわば魂の奉献ということであり、そのことが最大の服従の誓いとなる、というシステムである。

日嗣ぎの皇子が、日の皇子(天子様)におなりなされると、天子様としての仰せ言が下る。すると、群臣は天子様に対して、寿言(ヨゴト)を申し上げる。寿言の正確な意味は、齢を祝福申し上げる、というところにある。すめみまの命(みこと)のお身体に、天子霊が完全にはいってから、群臣が寿言を申すのだ。寿言を申すのはすなわち、魂を天子様に献上する意味である。群臣らは、自分の魂の根源を、天子様に差し上げてしまうのだ。これほど、完全無欠な服従の誓いは、日本には無い。寿言を申し上げると、その語について、魂は天子様の御身に附くのである。(「大嘗祭の本義」 同書p147)


折口は、天皇に関して、また彼の言う「魂」というものに関して、この奉献という行為を重視する。
魂を捧げることこそ、最大の、「完全無欠な服従の誓い」となるのだと言う。つまり奉献は、まったく政治的な行為なのである。
これは無論、靖国神社の存在にもつながる思想であろうが、僕が考えるのは、同時にこの「捧げる」という行為による服従の誓いを、戦後の天皇や権力者たち自身が、いわば「捧げる側」として実践してきたのではないか、ということである。
昭和天皇は敗戦直後の1947年、アメリカによる琉球諸島の軍事占領を99年間継続することをマッカーサーに提案したと言われる(ハーバード・ビックス『ヒロヒト現代日本の形成』)が、これは天皇制の存続のために沖縄を切り捨てる行為であると同時に、沖縄という自らの領土を「献上」することで、自らの権力を保証してもらおうとしたとも言えるのではないか?
無論、ことは天皇一人の問題ではなく、それに代表されるこの国の権力層全体の発想のあり方ということである。
僕の目には、この国の権力層は今度は、福島の大地と人々や、(被曝の拡散により、また原発推進の継続により)居住者の全体、すなわち彼らの側に言わせれば「天子様の人民」全てを、アメリカを初めとする世界の核体制に「献上」することで、自らの生き残りを図ろうとしているように見える。
だがここで最も深く問われるべきであるのは、このように奉献(同時に犠牲)によって支配‐服従関係が構築されるという権力のあり方を、自明のことのように受入れてしまっている、僕たち自身の内面であり、宗教的とも呼べる情動というものだろう。
まさにそれこそが、原発をも、沖縄の現実をも、今日の経済社会のあり方をも、支えている当のものだからだ。


古代研究〈2〉祝詞の発生 (中公クラシックス)

古代研究〈2〉祝詞の発生 (中公クラシックス)