「見せしめ」としての

しかし、われわれが隔離や排除に反対するアクションを起こさない――あるいは、そうしたアクションを支持しない――場合、それはわれわれが排除や隔離を否認しているからなのだろうか。こう疑うべきかもしれないのだ。われわれはたんなるニュートラルな傍観者としてではなく、もっと確信犯的に「敗者」や「余計者」を敵視しているのではないだろうか。 (渋谷望『魂の労働』p86)


五月からは今より忙しくなるはずなので、今のうちに読み応えのありそうな本を読んでおこうと思って、今日酒井隆史の『自由論』を奮発して買ったんだけど、その前に酒井の盟友渋谷望のこの本を一通り再読するつもり。
森達也の本もまだ読みきってないのだが。

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