土曜日は、以前バイト先でお世話になって、今も付き合ってもらってる同年齢ぐらいの人と久しぶりに会い、梅田の焼き鳥屋で酒を飲みながら話した。仕事の面とか、家族の状況(長男で独身であることなど)とか、似通ったところが多く、何より同年代ということで、話がよく通じる部分がある。
続きを読む『<野宿者襲撃>論』後編
![「野宿者襲撃」論 「野宿者襲撃」論](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41V7EYEKANL._SL160_.jpg)
- 作者: 生田武志
- 出版社/メーカー: 人文書院
- 発売日: 2005/12/01
- メディア: 単行本
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本書では、(おもに少年たちによる)野宿者に対する「襲撃」について、二つの側面から語られているといえる。
ひとつは、「襲撃」は、われわれの社会の野宿者に対する視線、もっとひろげて言えば野宿者を生み出していながらその事実から目をそむけ続けようとする社会のあり方全体の投影(具体化)にほかならない、ということである。
昨日のエントリーにも書いたように、本書の前編では、おもにこちらの側面から少年たちによる「襲撃」という行動が分析され語られていたと思う。
もうひとつの側面は、「襲撃」をおこなっている少年や若者たちと、「襲撃」される野宿者の人たちとは、同じ社会構造が生みだした弱者どうしである、という観点だ。
この観点から見るなら、「襲撃」はこの弱者どうしの、まさに「最悪の出会い」ということになる。
だが、彼らが「戦う」べきだったのは、野宿者ではなく別のものだったのではないかという思いは消えない。静岡でのブラジル人青年たちの襲撃についても言えるが、「日本社会の中で居場所がない」という「共通する問題」を持つ者どうし、いわば、最も近いはずの者どうしが、どうして「襲撃」という最悪の出会いをしなければならないのかということが解せないのだ。(p97)
本書の後編では、こうした観点から、この弱者どうしの「出会い」と「連帯」の可能性が模索されることになる。