言語化について

モジモジ君の日記。みたいな。』さんのエントリー、『支援とは何か──生活保護・母子加算廃止問題をめぐって』から。


ここでmojimojiさんが書いておられることは、ぼくは全部を理解してるわけじゃないけど、うなづくところの大変多い意見だ。

・・・以上のようなやり方は、人の内面にあるものを様々な実体的なもの(財やサービスたち)と同列に潜在能力に放り込んでしまうようなやり方とは全然異質だと思う。


とあるのは、その通りだと思う。
ただ、『被支援者にとって楽、という意味ではない。むしろ、しんどい、と言われる』と書かれているように、問いに向き合わせ、『その拒否の理由を言語化させる』という作業は、被支援者当人にとってはたいへんきついものだと思う。「しんどい」ということは、抵抗が大きいということでもある。ぼく自身にとっても、こういう「言語化」の作業というのは、非常に辛く、抵抗がある。
ここで、その「抵抗」が、どれだけ自分自身に属しているのかといったことが問題になるのかもしれないが、ともかく「しんどい」とはいえる。
ただ、自分だけではなくて、あらゆる人間が、ということはあらゆる人間との関係を含みこんだ上での自分という人間が、出来るだけ「しんどく」ない人生を送れるようにしていくべきだとは思う。