『宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか』

 

宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか

宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか

 

 

 

この本は、専門的な内容はまったく理解できなかったが、非常に面白く読んだ。

あまりにも面白いので、読み終わるのが惜しく、途中までは読むつもりがなかった巻末の「補遺」、専門的な数式を展開しているところまで、皿に残ったスープを舐めるみたいに(でも、もちろん数式は全部飛ばして)読んでしまったほどだ。

数学や自然科学がまったく分からない僕が読んでもこれだけ面白いのだから、いくらかでも素養のある人が読めば、それ以上に面白いだろうと思う。

これはもちろん、著者だけでなく編集の力が大きいのだろうが、数式などの学問的な内容が分からなくても、丁寧に書かれてあることを追っていけば、かならず何か発見があると実感させる著述の進め方には、じつに感心させられる。

ちょっと、吉川幸次郎漢詩や戯曲の注解を読んでいる時の感じとも似ている。

この本のテーマであるペンローズの学説、「共形サイクリック宇宙論」については、以前、『知の果てへの旅』(マーカス・デュ・ソートイ著)という、これも大変面白い本を読んだときに初めて知ったのだが、その時は、なんという奇想天外な説だろうと思ったものだ。

ところが、本書でペンローズは、自分のこの説は、たいへん保守的なものであるということを言っている。その意味は、熱力学第二法則アインシュタイン一般相対性理論といった、古典的な物理学の法則・考え方と整合するものであるから、ということらしい。

他の説、たとえば、ビッグバンの直後に爆発的な宇宙の膨張が起きたという「インフレーション説」とか、多元宇宙論のようなもの、あるいは、ひも理論といった、広く関心を集めている新しい学説の多くは、こうした古典的な考え方と整合していない、のみならず、そもそも考慮していないように見える、ということらしい。

自分の考え方は、(一見奇矯に見えても)そういうものとは違うのだ、というわけである。

さらに、ペンローズは、量子力学自体についても、将来大きく修正される可能性があると考えているようだ。これも、物理学の古典的な考え方を重視する、「保守的」な態度の一つのあらわれではないかと思う。

あと、印象的だったのは、いわゆる宇宙論という学問は、1960年代になって「宇宙マイクロ波背景放射」というものの観測が契機になって、膨大な量のデータによって推論を検証・修正していく「精密科学」に変貌した、と書かれていること。それ以前の宇宙論は、ほとんど推論によって成り立っていたのだそうだ。

もちろん、ペンローズの説も、こういう精密な検証を経ながら展開されているのだが、ここにも技術の発展が、人間の思想の根本的な部分に劇的な影響を与えるということの、一例が見られるのではないかと思った。