大道寺将司句集『残の月』

『残(のこん)の月』は、大道寺将司の2012年から15年までの作を収めた句集である。

死刑囚であったことに加え、晩年の2010年以降はガンとの闘病も重なっていたからだろうが、自分の生命(それは国家ではない、別の何ものかによって生かされていた)と向き合い、そこから、自分が奪った生命の重さ・かけがえのなさにあらためて直面し、さらに、歴史の中で権力により奪われていった無数の生命の重さにあらためて思い及んでいく、そうした過程を想像させる本になっている。

また、2011年3月に起きた震災と原発事故に関連する句(明示されていなくても)が多いのは、(国策によってもたらされたものでもある)災害や被曝という事柄が、この生命への思いと深いところで重なるものだったからに違いない。

以下、ランダムになるが、句の感想を記しながら内容を紹介する。

 

生きてあることの宜しくづくの鳴く

 

きれぎれの一生涯よひこばゆる

 

いくそたび告げられし死ぞ草青む

 

 「づく」とはミミズクのことだそうだ。

最初読んだとき、「きれぎれの一生涯よ」という表現からは否定的な詠嘆のような印象を受けたが、「ひこばゆる」(根株や折れた枝先に芽が出ること)という語意を知り、次の句の「草青む」という言葉ともあわせて考えると、むしろ、そういう極限の状況にあっても息づき続ける生命の力の不思議さを肯定する心境を詠ったものに思えてくる。

だが、それはもちろん、以下の句に詠われるような死の切迫の実感と表裏をなすものであったろう。

 

花の朝のんどをごきと潰されし

 

堕ちむ時ちちろの声を聞かむかな

 

塩辛き時雨に濡れて消えゆくか

 

あじさゐやまた今生の朝迎へ

 

西瓜食ぶ刑死のことは考へず

 

蝉のこゑ秋津の鬼になれと言ふ

 

月白や残さるる日を恃みとし

 

縮みゆく残の月の明日知らず

 

「ちちろ」とはコオロギのこと、「秋津」とは日本の呼び名、そして「残の月」とは「まだ残っている月」をいう言葉だそうだが、また次のような句もある。

 

狭霧湧く駅に待たるるのどぼとけ

 

キム・ミレ監督のドキュメンタリー『東アジア反日武装戦線』では、大道寺の故郷である北海道の地の深い霧が印象的だ。

狭霧湧く駅とは、その郷里の駅のイメージだろうか。そして、のどぼとけとは、もちろん遺骨の隠喩だろう。

その「故郷」への思いは、次のような歴史の現実と切り離せないものとしてあった。

 

落葉敷くアイヌ・モシリに父母の墓

 

ノッカマップに散り敷く枯葉群れ立てり

 

ノッカマップとは、その故郷に近い、蜂起したアイヌが和人に虐殺された地であるという。

その思いの重さに押し潰されるようにして自分が犯してしまった、生命に対する取り返しのつかない罪への悔恨。

 

贖物は身ひとつなりぬ断腸花

 

加害せる吾花冷えのなかにあり

 

冬の月詫ぶる四壁の絶え間より

 

息の緒を奪ひてしるき烏瓜

 

 この最後の句の印象は、とりわけ峻烈だ。息の緒(命)を奪ってしるきものとは、自分(大道寺)自身でもあり、また同時に国家(つまり僕たち)でもある。

そう自覚して、次のような句も読まねばならない。

 

木枯や連れて帰らぬいのちたち

 

枯葉掻くごと員数を除きけり

 

武士という存在が大きな比重を占めた、日本の伝統文化や宗教・思想においては、「殺害からの回心」ということが、重要なテーマになってきた(「善人なおもて往生を遂ぐ」など)。大道寺将司が、俳句という伝統的な詩形にその深い表現の場を見出したことは、その意味で偶然ではないと思う。

 彼は確かに直接的な殺害を行った。だが、侵略戦争や植民地支配、また死刑制度ということを別にしても、人間社会で間接的な殺害を行っていないものなど、果たして居るだろうか。

その殺害の規模と、正当化の仕組みとは、今日急速に増大と高度化の一途をたどっている。

大道寺の表現は、その事実への内省をも鋭く迫るものとなっていると思う。

 

 

国家が生命に及ぼした暴力である、震災の被害や被爆に関する句としては、「放射能」「建屋」「セシウム」といった語を用いた直接的な表現のものが目を引くが、僕としては以下のような明示的でない作に、特に心惹かれるものを感じた。

 

なり見えぬものこそ恐し花けぶる

 

散らされし牛の野晒し星流る

 

人絶えし里に非理なし蝉時雨

 

料峭の地に赤丸の旗垂るる

 

「料峭」とは、春先の寒い時期の気候のことをいうそうだが、この句集においては、それが「3・11」の記憶と結びついていることは明白である。

 

 

さらにもう少し、句の感想を書いておこう。

 昆虫をはじめとした小動物への共感、そこにかもしだされるたくまざるユーモアは、この作者の特徴の一つのようだ。たとえば、

 

九条も螻蛄(けら)の生死も軽からず

 

秋の蚊の拗ね者に仇なしにけり

 

燕雀の性根は勁し芋嵐

 

梟の眠りうかうか四十年

 

野伏せりとちちろの夜を分けにけり

 

 「ちちろ」は、先に書いたようにコオロギのことらしい。「野伏せり」とは、野宿者や山賊のことを言うと注釈にあるが、「賊」とは、国家の意に沿わず生きる者の総称でもあるだろう。この句には、「分けにけり」という言葉に、共生の理念を感じさせるところがある。

また、2014年の、「韓国珍島」という前書きを付された

 

沈没を無為に見てゐる四月かな

 

という句は、明らかにセウォル号事件のことを詠んだものだろうが、大道寺の心がなお朝鮮半島の人民にあったことをうかがわせると同時に、牢獄のなかにある自分の無力への言いしれぬ思いが伝わってきて、忘れがたい印象を残す。

 

花冷えやただあてびとを仰ぐ群

 

 「あてびと」とは、高貴な人の意。

 

日の丸の波不穏なる土用入

 

尊ぶは倭ばかりや冬ざるる

 

日の丸の揺れて戦時の貌となる

 

啓蟄やみな心中に狂気秘め

 

憲法卯の花腐し頻るなり

 

 「卯の花腐し」とは、梅雨に先駆けて降る長雨のことだそうだが、沛然と降る雨は古くから処刑のイメージにも重ねられる。

 江戸時代初期の若狭(小浜)の義民として知られる松木庄左エ門が処刑された時、刑場に「卯の花腐し」が降り注いだという記録があるのを大道寺は知っていただろうか。

 

抗はぬ民と侮る春の潮

 

蒼氓の枯れて国家の屹立す

 

 「蒼氓」とは、石川達三の第一回芥川賞受賞作の作品名としても知られるように、困窮し流浪する人民をあらわす言葉である。

そこには、アイヌモシリに植民すること余儀なくされた「父母」の記憶が重なり、また原発事故によって故郷を追われたうえ、避難した先でも排除されようとする、国家の犠牲者である民衆の姿が浮かぶだろう。

 

 

大道寺将司は、極限的な生存のなかでこれらの作品を残したことによって、生命を否定する国家権力と死刑制度に対する最大の弾劾を為したと思う。