『批判的主体の形成[増補改訂版]』・その1

ここ数日、この本をぼちぼち読んでいる。

批判的主体の形成[増補改訂版] (洋泉社MC新書)

批判的主体の形成[増補改訂版] (洋泉社MC新書)


田川建三って、読んだことなかったけど、こういうことを言ってきた人なのか。
ここに収めてある文章は、もともとは70年代初頭に書かれたものらしいけど、今読んでもたいへん刺激的だったり、示唆に富んでいたりする。

「弱さ」への居直り

たとえば、当時すでにメディアにもよく出て広く影響力のあったキリスト教徒の作家遠藤周作の思想に、正面から対決し批判した論考「弱者の論理」。
ともかく、世間一般に広く影響力を持っている思想を正面から批判するというのは、難しいけど大事なことである。
著者は、正しいことが何か分かっていてもそれを実行したり貫き通すことができないという、人間の「駄目な部分」について、「駄目なままでよいのだ」と居直るような姿勢、

この「弱さ」を人間の実態として承認しつつ、深い底のところで互いに許しあって生きている以外にない(p56)


という風な居直りの姿勢を、遠藤の文学と思想の核心に見出して鋭く批判する。
それは、現実の場で本当に追い詰められた者の「弱さ」ではなく、体制によって守られた者(その意味での強者)たちの欺瞞的な「弱さ」であり、そうした思想が支配的な社会の体制を暗黙に支えているのだ、というのである。

現実の場における弱さは、必ずや苦痛を伴うから、それでいいのだ、とそこに居直ることなどできないのである。(中略)世の中に現実に生きている人間は、自分では「弱い」と思っていても、現実の場においては強い。(中略)居直ることが可能な「弱さ」は、それが権力に守られた安住の場所であるからこそ、居直ることが可能なのである。(p60〜61)


ここで具体的にイメージされているのは、当時のキリスト教系の大学での学生闘争における、学長や管理職の教員たちの態度だったようだ。

底辺でつぶされている者たちは――その故に何らかの仕方で闘わざるをえない人たちは、決して、そういう論理の中では「弱い」者とは呼んでくれないのだ。(中略)露骨に体制の力として立ち現れて来るものも当然問題にしなければならないが、「弱い」「弱い」と居直りつつ、従って自分では自分が権力者である、もしくは権力に奉仕しているという自覚は決して持たずに、実際にはその居直りの底でそうなっている者たちをこそ、もっと問題にしていかなければならない。この種の「弱さ」は、体制権力的な強さなのである。(p62)


著者の怒りが伝わってくるような文章で、その論旨も明快で魅力的だが、ちょっと引っかかるところもある。
というのは、こうした欺瞞的な「弱さ」が体制権力を支えているのは事実だとしても、それは体制権力そのものとは、やはり違うであろう。大事なのは、『居直りの底でそうなっている者たち』を、結局はどうしたいのか、どうするのか、ということだろう。
それは、現行の社会のなかで「多数の支持や理解を得る」ということとは違う。どのような社会を作ろうとするのか、という問題である。

「気恥ずかしさの感情」について

ところで、こうした強者による「弱さ」の奪い取り、人間的な「弱さ」や「駄目さ」への(体制権力的な)居直りという態度は、実は、キリスト教の核心にも通じる悪しき部分であると、著者は述べる。
ここは、著者のキリスト教(宗教)批判の核心にもつながる点であろう。
のみならず、そこに著者は、日本社会に特有のもの、日本社会における『大多数の者の潜在的宗教意識』を見出して、批判する。
その現れ方は、具体的にはこんなふうに書かれている。

一言で言えば、キリスト教に関心を持たない大多数の知識人読者大衆は、キリスト教に対するひどい無知と、その無知にもとづくコンプレクスによって、本当は自分でもたいして本気にしていないくせに、キリスト教的もの言いをはっきり否定しさるほどの勇気もないままに、キリスト教徒の言ったり書いたりする陳腐で低級な事柄をもてはやしてみたり、あるいは、もてはやす連中を気恥ずかしげに横目で見ながら、あえて否定も批判もせずにいる、ということである。(p39〜40)

つまり、自分の日常においては全然問題にもしていないくせに、改まって問われると、やはり人間にとって宗教は必要ですよ、とか、超越者もしくは超越というものはあるのでしょうねえ、などと言って、結局は自分の中の宗教意識を思い切って否定することができない。それなら、もしも本当に超越者の存在を信じ、宗教は大切です、なんぞと言うのなら、本気になって宗教信者として生きてみな、と問いつめると、いえ私はそれほどでは、とか言って逃げ出してしまう。(p41〜42)


著者は、こうした『(日本社会の)大多数の者の潜在的宗教意識』を批判することこそが、現代における宗教批判の最重要課題だ、と言うわけである。
こうした記述がとても気になるのは、そこに日本社会の大多数の人々が抱える、非合理なものへのある種の信仰(宗教意識)が、たしかに言い当てられていると思えるからだ。
たとえばキリスト教のような明示的な「信仰」の言説を前にして、それを否定できなかったり、「気恥ずかしく」やり過ごしてしまうのは、たしかにこうした「潜在的宗教意識」のなせる業かもしれない。
そしてさらに重要なことに、この「気恥ずかしさ」は、(日本の社会において)人々が超越的な価値に責任を持って接近することを、巧妙に妨げるための装置として働いているらしいことも、上の文章から読み取れるのではないかと思う。
「鬼神を敬してこれを遠ざく」という言葉があるけど、これはそんな立派なものではなく、自分のなかの非合理性をそのまま温存し続けるための、ずるい態度だということになる。
この非合理性への信仰(潜在的宗教意識)を批判し解体していくことは、現在でももちろん最重要の課題と言っていいほどだろう。
ともかく、この超越的な価値を信じて生きているかのような人や言葉を前にしたときの、「気恥ずかしさ」の感情(そこには、否定してすませることの出来ないポジティブな何かもありそうだが)を描き出しているところが、ぼくにはたいへんに興味深い。


エスの辺境性・沖縄

また、「イエスの辺境性――風土論によせて」という論考では、抵抗の契機としての「歴史的風土」というものの重要性が語られる。

エルサレムという主都、エルサレムを中心としたユダヤ地方に対して、イエスガリラヤというイスラエルの中の辺境を基礎として出て来た、ということは偶然ではない。(中略)現代の我々にとって意味のある思想の風土性は、こういう意味での歴史的風土が体制の思想に抵抗する契機を提供する、という限りにおいてであろう。(p75〜76)


そしてこの観点から、この古代イスラエルにおけるガリラヤの位置と、現代(「復帰」の直前)の日本・東アジアにおける沖縄の位置とが重ねられ、次のように分析されていく。

沖縄は日本である、ということは確かに事実であるが、その事実を強調して意味があるのは、アメリカ帝国主義が沖縄を直接に統治していることに対する、また、沖縄を中心的な軍事上の足場にしてアジア支配を貫徹しようとしていることに対する反逆の論理としてのみ意味がある。(p76)

(前略)それはまた単に、本土が沖縄を支配する、という地理的関係ではないので、本土の我々を支配している体制が、さらに地理的落差によって強められて沖縄にも持ち込まれる、ということなのだ。(p77)

本土の経済体制におとなしく順応していくことの方が、とりあえず、沖縄にとっては楽なのだ。そのように順応的にならざるをえない落差をつくり出すような形で、「本土復帰」が画策されている、ということなのだ。(p79)


そして、

さて、何故このように沖縄の問題に話を持っていったかというと、イエスにおけるガリラヤは、かなりこれと共通する問題をはらんでいるからだ。もちろん、古代末期の世界史的状況と現代の世界史的状況は大幅に異なる。そしてまた、沖縄はその辺境性の故に世界史の導火線になるような位置に立たされているのだが、ガリラヤはその辺境性の故に世界史から忘れられていた。――忘れられるということは、決して静かにほっておいてくれるということではなく、踏みにじられることがあまりに日常的になっているために、世界史の焦点にならない、ということなのだが。――けれども、その相違を頭に置いてもなお、イエスにおけるガリラヤは、かなり我々の沖縄の場合と共通する。というよりも、我々がイエスを語り、イエスガリラヤの人として描き出す行為は、今日では沖縄を頭に置く限りにおいて意味を持つのだ。実際、七〇年の日本において「風土と思想」を論ずるのに、沖縄を問題意識の射程の中において論ずるのでないとすれば、よほどの馬鹿か、さもなければ徹底した悪人かのどちらかである。(p80〜81「イエスの辺境性」より)


これは基本的には、40年後の今日でも同様にあてはまることだろう。
いや、むしろ40年前と比べて、沖縄の「辺境性」は、どうなっただろうか?
それは、ガリラヤのように、ある意味で「世界史から忘れられ」た場所という意味での「辺境性」に変質しつつある、ということではないだろうか。
その忘却の主体は、もちろん「世界史」と「辺境性」とを作り出している、この「我々」自身である。