『オルタ』・私の95年

『オルタ』の9・10月号は「1995年」特集を組んでいる。
http://www.parc-jp.org/alter/2008/alter_2008_09-10.html


その企図は、二つの大事件(震災とオウム真理教)によって社会が動揺し流動化の兆しがあらわれるとともに、非正規雇用が拡大し、現在の世情につながっていくひとつの節目として考えられる年、ということらしい。


先日読んだ道場親信著『抵抗の同時代史』のなかにも、90年代の政治的変容を個人史的に振り返り再検討する、興味深い文章があった。
その文や、『オルタ』に載っているいくつかの記事やインタビューに刺激されて、95年ごろのことを自分なりに思い出してみようとしたのだが、はっきりした記憶はない。


ただ、自分はこの頃は、大阪市内にある洗濯工場のようなところでバイトをしていた。震災があったために、95年に自分がそこで働いてたということを、かろうじて覚えているのである。
震災が起きる前の日、1月16日はたしか振り替え休日になっていて、バイト先の友人と二人で、和歌山の野上電鉄という、今調べると前年94年の3月に廃止・解散された鉄道会社の線路の写真を撮りに行っていた。
この頃は、今でも続いているのかもしれないが、廃墟や廃線のようなものを撮影するブームがあり、ぼくも友達と一緒に、もしくは一人で、一眼レフを持って撮影に歩いたりしていた。
この時の撮影場所は山間で、大阪からレンタカーを借りて、友達の運転で行き、駅舎だった建物やところどころ外されている線路の写真を撮って回り、夕方には大阪に戻った。
そして翌日の未明、まだ寝床にいるとき、地震があった。揺れが収まってすぐ、大阪市内に住むその友達が、心配して電話をかけてくれたのを覚えている。
うちは、特に被害はなかったが、ぼくの頭上にあった棚の上の人形を入れているガラス製のケースが落ちてきて、布団をかぶってたのでよかったものの、あやうく大怪我をするところだった。
その日はさすがに職場に行かず、何日か休んだのだが、後で聞いてみると、その日職場に来た社員の人が何人か居たそうで、驚いたのを覚えている。
地震に関連して、また95年とはっきり分かることで、覚えていることは、ほとんどそれだけだ。
あともうひとつ、個人的な思い出があるのだが、あまりここに書きたくない。


今号の『オルタ』では、「だめ連」の神長恒一さんのインタビューと、パーカッショニストの奥村恵子さんのやはりインタビュー、それに大月啓介さんによる連載記事「隣のガイコク人」が、特に印象的だった。
また、生田武志さんによる「釜ヶ崎暴動」の報告は、はじめて知ったことがいくつかあり、あらためて考えさせられた。
95年特集を読んでいて、もっとも印象深かったことは、執筆者・発言者の多くが、雇用などの面で不安定であった自分の95年と、95年以後を語っている、ということである。


そうした自分の体験と、社会の変容を結びつけて語ることは、ぼくの場合にはとても難しい。