ハシズム大困惑

橋下知事の政策、困ったもんだなあ、という感じが段々強まってきた。
橋下だけではなくて、「橋下現象」みたいなものが。


橋下という人を見てると、可視性とか透明性とか、光を当てることに対する強迫観念みたいなものがあると思う。
これは、ネオリベ的なものに共通した特徴だということは、『戒厳令下チリ潜入記』とかにも書いてるらしい。
物は光と影があってはじめて見えてるわけだから、過剰に光を当てたいというのは、やっぱり「見たくない」という意志があることは間違いない。だから、強迫観念。


ただ、ちょっと思うのは、橋下の手法として、性急に問題を表面化させて進めようとする志向自体は、それなりの共感される必然性がある。
それは、生活が逼迫してるような人ほど、そうだろう。
「透明にしてほしい」という気持ちや、直接的に物事を解決したいみたいな願望は、みんなにすごくあるんだろうと思う。
ただ、それは本当は「見えない部分を大事にしたい」という気持ちとセットになってるはずだが、そのことを表面化させたくない(意識したくない)みたいな願望があり、それが(光への)強迫観念となって働いてる。
橋下自身もそういうものに支配されてるし、自分が支配されてるのと同じものに支配されたいと思ってる人たちの強迫観念(意識したくない気持ち)に訴えかけることが、すごく上手い、ということは言える。


新自由主義のひとつの本質は、「光を当てることによって、見たくない何かを隠す、隠したい、とくに自分の中の何かを」という欲望だろう。


戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)