陳水扁の目指したもの

台湾の総統選挙が、週末に行われる。
国民党の候補が優勢とされるなかを、チベット情勢の影響もあって民進党の候補が追い上げているとされる。
ぼくは、とくにどちらの側を支持するわけではないが、ひと言だけ言っておきたいことがある。
それは、民進党陳水扁総統が掲げた「台湾人意識」という理念が、いかに優れたものだったか、ということである。


これは普通、他者(中国)の支配に対して自己の独立を主張する、たんにナショナリズム的なイデオロギーだと考えられている。
だが、この理念を掲げた陳水扁の政権において忘れてならないのは、この島(台湾)の先住者である「原住民」の人々の権利を重視する政策をとったことである。
それは無論、少数民族の人権を蹂躙する中国の政策に対する倫理的な優位を国際社会に印象づける高度な政治的戦略でもあっただろうが、大事なことは、抑圧や脅威を受けている単一で同質的な存在として自分たちの集団(国民)の自己像を固定させなかった、ということである。
それは、自分たちもそこに所属している政治の力学の残酷さに無自覚となれば、自分たちもまたいつ何時、抑圧者、侵略者として振舞うかもしれないという現実に、台湾の有権者たちが自覚的であるよううながす。


つまり、陳水扁が掲げてきた「台湾人意識」という理念の内実は、たんなる「独立」という排他的・ナショナリズム的・自己中心的な主張ではなく、支配に抗した者が自ら支配する側に転化するといった悪しきメカニズムからの脱却を目指すような性格を、そのうちに秘めていたということである。
これは、まさに民主的と呼ぶのがふさわしい進歩的な政治姿勢であり、自国のベトナム戦争時における犯罪行為を弾劾した韓国の民主化運動にも比肩するような水準の高さを持つものだったと思う。
要するに、自国が周辺の国々や民族に対して行ってきた行為をまともに批判できないどころか、そうした問題のあることさえ否認する、この日本のような国*1で幅を利かせる「ナショナリズム」とは、その政策と思想は、まったく別物だということが言いたいのである。

*1:そういう国が、もうひとつあるようだが。