最近見た映画二本

これから書く二本の映画は、大阪ではもう上映が終わってます。
関心のある人は、DVDなどでみてください。
追記:ごめんなさい。『恋するトマト』は、まだ上映中でした。大阪十三の「第七芸術劇場」で、まだしばらく上映してるようです。



『やわらかい生活』は、都会で一人暮らしをしている30代の女性の生活を、数人の男性との関係をとおして描いたもの。
この女性は今仕事をしてないという設定なんだけど、これはバリバリ働いてたときにきっかけがあって重度の「うつ」になったからである。
主演の寺島しのぶは、芝居がうまいという評判になってるみたいだが、この映画に関してはぼくはあんまり感心しなかった。もっとも、これは台本に問題があるのかも。ぼくの素人考えでは、この作品の最大の難点は脚本がよくないことだ。
共演の男優陣のなかでは風来坊みたいないとこを演じた豊川悦司が、最も重要な役どころである。映画の後半で、うつの発作を起こしたみたいになるヒロインを献身的に看護するが、限界がきて激しく衝突してしまう部分の演技は、たいへんよかったと思う。


このいとこをはじめとして、ヒロインの旧友で「ED」の議員や、インターネットのサイトで知り合った痴漢行為を趣味にしている男性などとの関係が描かれていく。
それぞれ面白い話なのだが、もう少し突っ込んで描いてほしかった。
とくに、田口トモロヲが演じた痴漢の中年男との関係というのは、ヒロインの側が「痴漢みたいなことをされるのが好き」という欲望の質をもっているから成立してるわけだ。
そういうことをするのが好きな人と、されるのが好きな人、当然どちらもいるはずだが、これは一般社会で欲望を実現しようとしてしまうと、犯罪になったり相手をひどく傷つけたり、あるいは自分が(とくに女性の場合)怖い思いをしたり回復できないようなダメージになったりする。つまり、とても危険なことになるわけだが、それでも欲望は存在する。
そこで、「するのが好きな人」と「されるのが好きな人」とが、インターネットのサイトなどでコンタクトをとって、了解のもとでお互いの欲望を充足させる。これは大変いいことだろうと思った。
それでも問題は生じるだろうが、お互いを傷つけあわない形で欲望が充足される方向に行くということ、そのための試みが工夫されて行われるということは、ぼくは基本的にいいことであると思う。


まあ、そういうふうに面白い題材を扱ってるのに、描ききれてない面があり、不満が残ったのである。


もう一本は、『恋するトマト』という作品だが、これは別の映画を見ようと思って映画館に行ったところ、ぼくの勘違いでまだ公開が始まっておらず、代わりに上映中だったこちらを見ることにしたのである。
みるつもりのなかった映画を劇場で見ることは、ぼくは滅多にないのだが、この日は「男性デー」で料金千円だったので気が変わった。1800円なら絶対見てない。
やっぱり、映画の料金て千円が限度じゃないかなあ?


結論からいうと、いい映画だった。
俳優の大地康雄が主演の他、企画・脚本・製作総指揮を担当したという意欲作で、嫁に来てくれる人がないという地方の農家の深刻な状況からはじまり、やがて舞台がフィリピンに移って、フィリピンと日本との関係の現実がシビアな面を含めて描きだされている。
地方で農家をしていると結婚してくれる人がないというのは、「日本の農業の危機」という以前に、農家の跡取りである男のひとたち個々にとって深刻な現実だろう。これは、かんがえだすときりがなくなりそうだけど。
ともかく主人公は、すごく真面目な農家の跡取り息子だったのだが、集団見合いみたいなことをやっても断られ、フィリピンバーで働いてる女性(ルビー・モレノ)にひっかかって結婚詐欺にあい、ショックのあまり、マニラのスラムでルンペンのような生活を送るところまでいく。そこで別の日本人に拾われて、今度は現地の女の子たちをスカウトして日本にホステスやダンサーとして送り込んだり、日本人観光客相手に売春させたりするエージェントになっていく。
そのうち、農家の娘でレストランで働いている現地の若い女性と知り合って恋に落ち、その家族とも触れあううちに、農業の価値、土にまみれて働くことの価値みたいなものに目覚め、いわば「自分らしさ」を取り戻していく。
まあ、そんな感じの話である。


こう書くと、ご都合主義的なストーリーにも聞こえるだろうが、たしかにその通りで、フィリピンの有名な女優アリス・ディクソンという人が演じるヒロインが、いかにも日本のおじさん好みで、貧しい農家の娘なのに日本人が来る高級レストランでバイトしてるという不自然な設定に示されてるように、映画の内容に文句を言おうと思えば、これはいくらでもあるだろう。
ぼくとしては、むしろ結婚詐欺をするルビー・モレノ演じる女性のような人に拘ってちゃんと描かないと、フィリピンのことも、フィリピンと日本の現実の関係も、捉えきれないだろうと思ったのだが、ストーリーとしては最終的には日本とフィリピンの間の「差異」みたいなものをきちんと描いていたと思うので、その点を評価したい。
ただ、あのラストシーンは要らない。


大地康雄の演技は、やはり秀逸で、とくにフィリピンを立ち去る最後のときに、自分が育てたトマトを畑で食べるシーンが素晴らしかった。
あと、年金生活をしている(といっても、退職金とかもたくさんもらってる人たちだろうけど)日本のおじいさんたちが、集団で旅行に来て現地の10代の女の子たちを買ってる場面は、さすがにショッキングだった。いい悪いは簡単に言えないのかもしれないけど、ショックではあった。ああいうことは、ほんとに普通にあるのかなあ?
それから、これは内容にはあまり関係ないのだが、「農業」とか「農家」という単語が台詞のなかにたくさん出てくるんだけど、「百姓」という言葉でないと成立しないと思えるものが多かった。この言葉は使っちゃいけないの?映画の台詞としては、ちょっと致命的な感じがしたのだが。