『私はあなたの二グロではない』

『私はあなたの二グロではない』という映画を見た。
これは、アフリカ系アメリカ人の作家ジェームズ・ボールドウィン(男性同性愛者であることも明かしていたという)の文章と発言の映像を軸にして、米国の黒人差別と解放運動の歴史を描いたドキュメンタリー。
キング牧師マルコムXなどボールドウィンと親交のあった著名な活動家の男女(キングやマルコムと同様にやはり30代で亡くなった有名な女性運動家も出てくるが、名前を忘れてしまった)も登場する。
ボールドウィンの米国社会に対する分析は、一つの社会がどういう仕組みや事情でどうしようもなく差別的になるのかということをきわめて正確に見抜いているので、他の社会にもそのままあてはめられる。見ていて、明治以後の、そして特に今の日本社会のことを語っているようにしか思えない所があり、震撼した。
未発表に終わったというボールドウィンの草稿の朗読は、サミュエル・L・ジャクソンがやってるそうだが、集会やテレビショーに出た時のボールドウィン自身の肉声と表情が強烈な印象を残す。
あれほどの困惑や恐怖、自分の住む社会と人間に対する絶望の表情を、ほとんど見たことがない。

『高江ー森が泣いている2』

25日日曜日は、十三のシアターセブンで映画『高江ー森が泣いている2』の上映、終了後に影山あさ子監督によるトークと、同作でも音楽を担当しているきむきがんさんのライブも聞いてきました。
映画は、9月から11月にかけての高江の情勢を追ったもので、山城博治さんが、工事をすすめようとする防衛局員たちに、自分の闘いの原点である高校生時代の体験を語る場面から始まっています。
もっとも印象的だったのは、タイトルにも象徴されているとおり、高江の木々が伐採され、重機で引き抜かれていくのを、人々が懸命に抗い、そして見つめている場面。その映像に、その時の心情を歌ったきがんさんの歌声が重ねられます。
抵抗を続けるある人は、「僕らにも意地があるじゃないですか。ここに確かに森があったんだぞという」という風に語ります。
この場面を撮影したことについて、影山さんたちは、抗議行動をしていた人から「あの木々が生きてきたのだということの、証明を記録に残してくれた。ありがとう」と言われたそうです。
映画の最初の方で、宮城秋乃さんが、一本の樹木にどれだけ多くの動植物の営みが蓄積されているかを説明して、「木を見て森を見ずというけど、見る人が見れば、一本の木の中に森のすべてが含まれているんです」というようなことを言います。僕はそれを聞いていて、一人の人間と社会の関係も、それと同じようなものだと思いました。
その根を引き抜き、土台を掘り崩すように、基地建設と戦争国家化は進められている。


影山さんのトークで印象的だったのは、「私たちは、奄美から与那国にかけての大規模な軍事化という現実の、まだ始まりを見ているにすぎない。これからずっと、この現実と向き合うことになる」という言葉。恐ろしいことですが、正しい認識だと思います。
きがんさんも、歌の合間にいろいろ話されたのですが、特に、現場で作業をしている労働者のおっちゃんたちが、この仕事に就けなければ明日の仕事にもあぶれるような普通の沖縄の庶民の人たちであるということ、そして10代半ばぐらいの若者も現場で働いている。抵抗のさなかでの、その人たちとの交流と言葉のやりとりの話が心に残りました。

映画は、大阪シアターセブンでは1月13日まで、ポレポレ東中野(東京)は、12月28日まで、沖縄・桜坂劇場は1月6日まで、それぞれ上映予定。また、名古屋シネマテークでは1月14日からの上映です。
また、異例ですが、情報普及のために、この作品の上映権付DVDを1万円で販売しているとのこと。ご希望の方は、下記までお申し込み、お問合せください。

http://america-banzai.blogspot.jp/2016/11/blog-post.html

『ティエリー・トグルドーの憂鬱』

あんまり期待しないで見たんですが、この映画は、びっくりするぐらいの秀作だった。
一方で、この作品はフランスで記録的なヒットになったそうだが、こういう映画がそれほどの観客動員をするというのは(最もホットな社会問題を扱っているとはいえ)、日本では考えられないとも思う。
http://measure-of-man.jp/

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『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』

十三の第七芸術劇場で、古居みずえ監督の新作『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』を見てきた。
http://www.iitate-mother.com/

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