2005-01-01から1ヶ月間の記事一覧

あらためて「強制的授受」について

読者の方から、先月21日にid:ueyamakzkさんの文章についての感想を書いた記事に、コメントをいただいた。 そこで、あのとき書き残していたことを、少し書いておきたい。これは、上記の文章とは直接関係ないかもしれないが、ぼく自身が思い浮かべたことです。

近所で見かけた巨大な猫

このhatenaのブログの編集画面では、「おとなり日記」といって、自分の文章とよく似たキーワードを使っている他の方の日記が表示されるようになっているのだが、昨日の文章では「月影兵庫」とか「近衛十四郎」とか書いたせいか、一件も表示されなかった。ブ…

消えた素浪人

どうも画面が殺風景な気がしたので、プロフィールに自分の写真を載せてみたのだが、どんなものであろうか。 これは、毎年2月に北海道の朱鞠内という場所でおこなわれている「東アジア共同ワークショップ」という催しに参加した、ある年のスナップなのだが、…

タヒチの話

今日テレビを見ていて知ったのだが、タヒチという所は、今でもフランスの領土なんだそうだ。これは国際政治上はどういう定義になるのかしらないが、以前植民地にした場所を、そのまま独立させずに保有しているということだろう。地球上には、まだ植民地とよ…

『夢酔独言 他』

先日、中沢新一の本の紹介のなかで、作家の高橋源一郎の名前を書いたが、この人が紹介していた本で、ぼくが一番面白く読んだのは、勝海舟のお父さんの勝小吉の自伝である『夢酔独言』だ。 この本は、東洋文庫というところでしか読めなかったのだが、数年前に…

「環境管理型権力」と「タコツボ化」

きのうは、東浩紀氏が述べている「環境管理型権力」ということについてかんがえたわけだが、これと「タコツボ化」ということとの関連については書けなかった。そこで、今日はそれについてかんがえてみよう。 これは言うまでもないことだけど、念のために書い…

「環境管理型権力」について

きのう書いたことをかんがえなおしてみると、「タコツボ化」というのは、まさしく「環境管理型権力」の所産だともいえる。居心地のいい壺のような空間のなかに人々を別個におしこんでおけば、大きな権力に対抗する連帯の成立を防ぐことができる。ここで重要…

「親父」死す―ソ連崩壊

「理念」から「ムード」へ きのうの文章で、「政党や大きな団体のやり方に学ぶべきだ」と書いたが、実際には難しいだろう。昔は「理念」というものが信じられており、党や大組織が掲げる大きな目的というものに説得力があったから、党の方針を優先させるため…

『僕の叔父さん 網野善彦』

僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)作者: 中沢新一出版社/メーカー: 集英社発売日: 2004/11/17メディア: 新書購入: 5人 クリック: 42回この商品を含むブログ (133件) を見るを読んだ。 最近の中沢の著作はまったく読んでいないのだが、昔熱中して読んだ時期…

続・NHKの問題に触れて

本筋と脚注 この話が中途半端になっていたので、続きを書いておきたい。 ご存知の方も多いとおもうが、今回問題になった番組がなんらかの政治的圧力のために改変されて放送されたのではないかということは、この番組が放送された2001年当時から議論・告発さ…

貼り紙

先日、ある商店街を歩いていて、こんな貼り紙を見つけ、面白いので携帯で撮ってしまった。この写真である。 なんと書いてあるか、小さくて読めないとおもうのだが(だったら載せるなよ)、『シャッターに犬や自転車をつながないで下さい。』と書いてあるのだ。…

カフカの『変身』

『グレゴール・ザムザはある朝、なにやら胸騒ぐ夢がつづいて目覚めると、ベッドの中の自分が一匹のばかでかい毒虫に変わっていることに気がついた。』変身・断食芸人 (岩波文庫)作者: カフカ,Kafka,山下肇,山下萬里出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2004/09…

NHKの問題にふれて

NHKの番組改編問題の推移をみていてかんじるのは、次のようなことだ。 寛容さと苛立ち NHKが政府の意向に沿うような報道しかしない放送局*1だということは、とりわけイラクでの戦争がはじまって以後は、誰でも知っていたはずだ。ぼくが子どもの頃(6、70年代)…

『オールド・ボーイ』と「強者」の報復

上の文章でナルシズム的な心の状態、ということにふれた。 これに関連して、少しおもうところがあるので書いておきたい。 それは、かんがえる糸口としては、去年の暮れに見た韓国映画『オールド・ボーイ』*1に関することである。 *1:オールド・ボーイ プレミ…

自発性と「強制的授受」

きのう、id:ueyamakzkさんの発言に関して、「自発性」や「深い溝」ということに関して書いたが、どうも肝心なことを書かなかったような気がする。 これは本当に語るのが難しいことだとおもうんだけど、もう一度かんがえてみたい。http://d.hatena.ne.jp/ueya…

あるサイトの文章から

先日、id:ueyamakzkさんのサイトで、以下の文章を目にし、たいへん感銘をうけてご本人にメールで感想を送った。 ぼくとしては、ここでこうした繊細であったり実践的な大事な事柄について言及するのはたいへん心苦しいし、少なからず迷うところもあったのだが…

歴史というもの

ぼくの友人で歴史研究者の小埜田君が、NHKの番組改編(改変)問題について、じつに立派な意見をブログに書いているので、是非一読されたい。http://blog.livedoor.jp/masatix/archives/12662524.htmlぼくの意見は、これに特に付け加えることはない。ところで、…

「倫理主義」悪玉説は本当か?

上にベンヤミンのことに触れて、ユダヤ人に関する話をしたので、ちょっとおもっていることを書いておきたい。よくイスラエルが行なっていることがなぜ国際社会で黙認されてきたのかということについて、ヨーロッパのキリスト教徒の国であるナチス・ドイツが…

「暴力性」の話を振り返って1

ベンヤミンの暴力観について ベンヤミンやドゥルーズ=ガタリについて勝手なことを書いているので、他の人たちはどんな読み方をしているのか調べようとおもってインターネットで検索してみた。驚いたのは「暴力批判論」を論じてる人がすごく多いということだ…

お詫びとお知らせ

先日来、ある方から「コメントを書き込みたいのだが、入れられない」という問い合わせを何度かいただきました。どうしてかわからなかったのですが、ひょっとしてとおもって設定画面で調べてみたところ、「はてなユーザーしかコメントできない」という設定に…

暴力性を考え直す その3

『「運命のように彼らはやってくる、原因も理由もなく、遠慮会釈も口実もなく、・・・・。」』 『千のプラトー』*1の第12章、「遊牧論あるいは戦争機械」と題された章に引用されているこの一文は、カフカのテキスト「一枚の古文書」の一節ではないかとおもっ…

右か左か分からない

昔からそうなのだが、ぼくはあるものが右に位置しているのか、左に位置しているのかということが、よく分からない。 どういうことかというと、たとえば誰かの家に行って冷蔵庫をあけて、ビールを取り出そうとしたとき、その家の人が「右の隅にあるよ」と言っ…

続・『血と骨』の感想

きのう『血と骨』の前半が面白くなかったという話をしたが、どう面白くなかったのかを書かなかった。映画の紹介だというのに、悪口になりそうなことだったので、ながながと書くのがいやだったのだ。 映画の技術的なことはぼくにはわからないし、関心もないが…

『血と骨』の感想

高槻の映画館で、公開の最終日に『血と骨』をやっと見た。 感想だが、この映画は前半よりも後半の方がずっといい。2時間半ぐらいある長丁場なのだが、終わりに近づくほどいいとおもえるのは、映画をつくった人たちの主人公にたいする視線と感情が、主人公が…

「暴力性」を考え直す その2

ベンヤミン論、やりなおします! きのうの文章で、ベンヤミンの論文『暴力批判論』の要旨を紹介・検討したが、あらためてかんがえてみると、ベンヤミンがこのなかでのべている「神話的暴力」と「神的暴力」という暴力の両義性の分析は、たいへん重要で現代的…

「暴力性」を考え直す

このブログの最初のところで、ぼくは自分のこれまでの生き方や生活態度が根本的に暴力的・権力的(この二つの語をとりあえず並置した)だということを書き、その暴力性や権力性は「周囲の社会」が有する暴力性にぼくが「従属・同調」しているために生じる、い…

丘陵

たまには、日記らしいことも書こう。先日、箕面に住む知人をお訪ねした折り、小高い山上にある展望台から、自分が住む千里の丘陵越しに大阪の都心部の町並みを一望した。スペインの画家が描く風景画のなかの丘のように、圧倒的な存在感を漂わせる丘の姿に比…

「本を読むこと」について

すでにこのブログで、何冊かの本を紹介したが、ここで本を読むということに関して、今思っていることを少し述べておきたい。 一冊の本は、一個の生き物なのだ まずはじめに、本の読み方についてなのだが、昔ある時期、本というものはどこからどう読んでもい…

ダブル・バインド理論とは

ところで話は変わりますが、9日の文章の最後にダブル・バインド理論のことを書きましたが、キーワード説明が出ない(残念!)。 ぼくが理解してる範囲で簡単に言うと、母親が子どもに対して言葉と表情で矛盾するメッセージを送ることを繰り返すと、精神障害の…

否定性や内向性のポジティブな位置づけ

ここまでは、ぼく自身をモデルケースにしたせいもあって、現代の人々の「自己否定的」であったり、非社会的と(ときには反社会的とさえ)みなされる内向的な傾向が持つ、ネガティブな側面、価値判断として「否定的な」部分だけに注目してきた。 しかし、実の…