『ウォークス 歩くことの精神史』

これは恐ろしく読みごたえのある本だった。原著の出版は2001年頃。

 

 

 

書いてあることの要点は、ひとつには、著者が重視する「歩行の文化」とは、西洋近代において、特に産業革命以後の社会と身体への疎外に対抗して切り拓かれてきたものである、ということ。英国や米国など、各国の歴史(社会史・文化史・運動史)を振り返るのだが、その闘争の軌跡というのは、同時に、女性にとっては「自由に道を歩く」という数千年の家父長制下で抑圧されてきた(今も「先進国」を含めて抑圧され続けている)権利を奪還する道のりでもあったことを書いているのが、この著者らしい視点であろう。

 

『その意味で、歩行は所有のアンチテーゼである。歩くことは、大地において、動的で抱えこむもののない、分かちあうことのできる経験を求める。流浪の民は国家の境界を曖昧にし、穴を開けてしまう存在としてナショナリズムに敵視されることが多かったが、歩くことは、私有地というやや小さなスケールの相手に対して同じことをしているのだ。(p269)』

 

『ただしそのなかで、市場の女たちはありふれた市民のありふれた行為によって歴史を動かしてみせた。行列をなす何千という女性たちはまもなく訪れる陰惨な日々をまだ知ることもなく、ヴェルサイユへ向かって歩みながら、あらゆる権威の下で身を低くして過ごした過去を乗り越えていった。世の中が自分たちとともに立ち上がり、恐れるものはなく、兵士たちもまた自分たちの後に続く、そんな一日を彼女たちは生きたのだ。歴史の揺動に砕かれる穀物ではなく、むしろ挽き臼のようにして。(p373)』

 

『似たような経験のなかで、この一件はただその脅しの重みによって記憶に刻まれている。自分には戸外で人生や自由や幸福を追求することが本当の意味では許されていない、ということの発見にわたしは人生でもっとも打ちのめされた。世界にはわたしの性別のみを理由にわたしを嫌い、傷つけようとする他人が大勢いて、性はあまりに容易が(ママ)暴力へ転化してしまい、そういったことを個人的な問題ではなく社会的な問題だと考えている者はほとんどいないという発見でもあった。(中略)ひとりで歩くという願望は、彼女たちの心からすでに失われているのだ。しかしわたしにはまだそれがある。(p405~406)』

 

この本では西洋近代における闘争としての「歩行の文化」ということに、意識的に主眼が置かれているので、それ以外の、例えば東洋の伝統的な「歩行」に関しては、やや歴史性を欠いた像になっているのは、やはり気になる所ではある。

 

 

ところで、著者自身の運動上の経験として書いてることで印象的だったのは、彼女は80年代の反核闘争から政治運動にコミットしたそうだが、なかでも91年に米国各地で沸き起こった湾岸戦争反対の行動が、特権的なほど大きな経験だったと書いていること。それは、80年代の運動の世界的な広がりの帰結点のように捉えられてるのだが、その80年代の運動とは、ソ連・東欧圏の「崩壊」をもたらした市民(反体制)運動の勝利の経験でもあった。つまり、著者の世代にとっては、「壁の崩壊」という出来事は、(それ以前、及びそれ以後の世代にとってのように)「資本(新自由主義)の勝利」としてではなく、「民衆の勝利」という意味合いが大きかったのだ。これは、(今のウクライナ侵攻への反応を考えても)かなり大きな特徴ではないかな、と思った。

それから、戦後の米国社会の決定的な変容を示すものとして、1970年に、初めて多くの人々が自分たちは「郊外住宅地」に住むことになったと意識し始めた、という調査が紹介されている。「郊外住宅」は、労働(生産)と生活(消費)との分離を決定づける形式であり、そこでは歩行者の身体よりも、自動車の利便の方が優先され、身体はとことん排除・周縁化される街づくりが遂行される。そこで培われる感覚は、やがてゲーテッド・シティや「敵基地攻撃能力」の自明化にも結びつくものだろう。

この「郊外住宅地」のイメージとして、僕は先日歩いた千里丘陵の家並みを思い浮かべたのだが、ただ歴史を調べてみると、意外な発見もあった。普通、千里ニュータウンというと、マンモス団地をイメージするだろうが、実は当初(千里ニュータウンが生まれたのは、僕と同じ1962年だが)から、集合住宅(団地)と戸建て住宅との割合は、大体半々だったという。つまり、戸建て住宅による米国的な「郊外住宅地」化が突如始まったということではなく、ある時期までは、それも含めて「コミュニティ作り」への模索がなされていたのだろう(今でもニュータウンの各所には「近隣センター」の看板が見られる)。その様相が大きく変わって、コミュニティの衰退が言われるようになったのは、日本では80年代中頃のバブルとその崩壊にともなう、団地と戸建て住宅双方の「建て替え」が急増した頃だったようだ。まさにこの時期に、日本(大阪)でもネオリベへの布置が敷かれ、維新の台頭への種もまかれた、というわけだ。

 

『国家をもたぬように社会は努めてきた』

http://www.rakuhoku-pub.jp/book/27323.html

 

この本は、クラストルへのインタビュー(70年代だったか?)が主内容となっているが、訳者でもある酒井隆史による法外に長い「解題」が付されており、共著といってもよい内容である。酒井の文章は、この夭折した天才的なアナキスト人類学者が切り拓いた地平と、そこからのさまざまな批判を含めた展開を詳細に追っていて、やはりこちらの方により興味を引かれる。

 

批判としては、クラストルの議論にはジェンダー的な観点、つまりフェミニズム的な視点がまったく欠落していたことが広く指摘されているらしいのだが、そのなかでも、古代ギリシャ史家のニコル・ロローという人の批判が代表的なものであるらしい。

それはどういうものかというと、クラストルは未開の社会には「国家」という「単一なるもの」が形成されることを拒む様々な仕組みが存在しているということを書いており、それによって平等主義的な社会(共同体)を実現しているという。だが、その平等主義的(共産主義的と言ってもいい気がするが)な社会というのは、実は葛藤や混乱の原因である「女性」を排除することによって成り立っているのではないかと、ロローは指摘したのだ。そうだとすると、この平等主義的な社会(「国家に抗する社会」)というのは、つまるところ、国家と同様の「単一なるもの」の別様態に他ならないのではないかという、まったくもっともだと思える指摘である。

グレーバーのような後続のアナキスト人類学者たちは、こうした批判を受け止めてきているだろうと思う(さて、私自身はどうであろうか)。

 

 

興味を引かれるもう一点は、宗教あるいは、宇宙的な秩序(コスモロジー)ということに関わる。これはクラストルと深い影響関係にあったサーリンズやグレーバー(いずれも最近他界した)たちによって展開された観点である。

クラストルが提起したのは、「国家」というものが、客観的な現実の展開(進行)とは離れた「理念」のようなものとして人々を襲う(捉える)のではないか、という考え方である。マルクス主義社会学デュルケーム)のように客観的な現実(社会や経済)から「国家」が生じてくる(もしくは反映する)のだとは考えずに、それは「理念」として、いわば主観的、あるいは信仰のような次元に根差して出来(回帰)する。

だとすると、「国家」(あるいは、国家的な支配の論理)は、信仰や想像の領域にこそ、その根を持っているということになる。これは、恐るべき指摘である。

グレーバーは、アフリカなどを観察して、平等主義(共産主義?)的な社会ほど、「妄想の次元」においては激しい抗争や葛藤を抱えていることを発見したという。まるで、この次元での(つまりは想像的な、ないしは水木しげる的な)抗争を調停するかのようにして、「国家に抗する」さまざまな(平等主義的な)仕組みが、これらの社会において機能している、というのである。つまり、ここでは、妄想の次元における争いが、「国家に抗する」活発なメカニズムの原動力のようになっている。

またサーリンズは、『王権』の著者であるホカートを参照しながら、「神が王の似姿なのではなく、王が神の似姿なのだ」と明言する。想像的な領域においては、「メタパーソン」と呼ばれる神霊的な存在が人間を支配しており、その宇宙的な秩序は、現実の国家が不在な場所においても確かに存在している。この秩序こそが根源的であって、現実の「王」は、この「メタパーソン」の似姿のようなものに過ぎない、というのである。

こうした、社会の深い領域に存在している「秩序」の効力という話は、ベルグソンが『宗教と道徳の二源泉』で書いていたことを、やはり思い出させる。「国家」に実効性を与える内的な秩序が、人類史的な根深さを持っているとするなら、そこから脱することは不可能にも思える。もっとはっきり言えば、人びとの「妄想」や「思い込み」や「情念」こそが政治制度を決定するのだとすれば、いかなる啓蒙的・民主主義的な政治思想(特に立憲主義)も、意味を為さないと考えそうになるであろう。実際、現在の世界(もちろん日本を含む)の政治状況は、そのような「妄想の次元の支配」こそが人類の政治的現実の常態であって、理性的な(話し合いによる)政治制度の安定などというものは、一時の例外的事態にしかすぎないことを証明しているようにも見える。

だが、サーリンズも、グレーバーと同様に、このことを「国家の根深さ」という意味で持ちだしているわけではない。そうではなく、未開の社会においては、こうした「メタパーソン」の(不可避的な)威力が現実の個人や集団に転移してしまうことのないように、綿密な仕組みが機能していることをこそ強調しているようなのだ。

つまり、「国家」は超越的であり不可避であるが故にこそ、それは綿密かつ繊細に、また永続的に回避されなければならない。その抵抗の射程が、示されているのである。

もはや、混沌に満ちた「常態」が露呈してしまった今であるからこそ、我々は悪しき「単一なるもの」の力の実態に立ち向かい、それを克服せねばならない。この本は、そうしたメッセージを私たちに告げているのではないだろうか?

そしてそれは、かつてベルグソンが『宗教と道徳の二源泉』で呪術(ファシズム)に対比して、「宗教」に期待した事柄と、やはり似ているように思える。

 

『人はなぜ記号に従属するのか』

 

 

この本の原著は、ガタリが1970年代後半に書き残していた文章を、死後ずっと経ってから他の人が編集して(2011年に)出版したものらしい。

すごく難しい本なのだが、ひっかかりのつかめたところだけをメモ的に。

 

 

『すなわち、シニフィアンは単に言語学者構造主義精神分析家の誤りではなくて、どこかに普遍的な基準が存在し、世界は社会や個人とそれらを統御する法則がある必然的な秩序にしたがって構造化されていて、そこには深い意味があるといった確信にわれわれを従属させる何かが日常生活のなかにうごめいているということを示しているのである。シニフィアンはそのようにして権力構成体の現実的な機能様式を隠蔽する基本的な方式なのである。(p29)』

 

 

たしか同趣旨のことを、ベルグソンも『宗教と道徳の二源泉』に書いていた。端的にいえば、構造主義批判なのだろうが、しかし、シニフィアンを、現実に起きていることを隠蔽する装置だと断じるのは、相当にラディカルである。簡単にいえば、「現実の動向には意味(根拠)があると仮想する傾向」ということだろうか。こう考えれば、「陰謀論批判」などは些末なことにすぎず、われわれの現実隠蔽的な思考のあり方は、もっと根本的なことだということになる。そういうのは、なんとなく分かる。

ところで、ガタリベルグソンとの違いは、資本主義の力の現実性を認識していたことであろうが、そうは言ってもガタリはその「資本主義の力」を非生物の領域にも関わる一元論的(リゾーム的、エコロジー的、宇宙論的)なものとして捉えているので、そこはまったくベルグソン的だ。もっとも、マルクス唯物論をそういう風に解釈する考え方も(特に日本には)、あるのだが。

 

 

『抽象機械はいわば三重の可能性を<物質化する>のである。すなわち(1)自らの解体を行い、機械状の指標のアナーキーに回帰する。(2)意味作用の記号学の作動によって抽象化された形態の下に石化して、相対的に脱領土化された地平となる。(3)ダイヤグラム化の効果によって活発な脱地層化が起き、非シニフィアン的な記号=粒子の流れが生じる。(p223~224)』

 

 

ガタリの「抽象機械」は、いわば両義的な概念で、破壊的(時には反動的)ではあるが、その進行のさなかにおいてだけ、革命や解放が可能だと考えられている。仮にそれ(抽象機械)を資本のグローバル化の運動として捉えると(具象化すると)、上記のうち、(1)はISのような宗教的・保守的反動を、(2)は言わばグローバル化によってコンビニ化した社会や景観を、そして(3)が革命・解放を、それぞれあらわしていると考えられよう。

興味深いのは、ガタリが(1)をアナーキーという言葉で表してることだが、ISやトランプ主義者の体現するヴィジョンはまさにアナーキーなものなので、これは割符が合っていると言えるのかもしれない。

 

 

『集合的な<安心>のシステムが言表行為の領土化を人工的に再生産するのは、意識的変形や脱主体化をもたらすダイヤグラム的変形によってもたらされる目眩をもよおすような主体の脱領土化に対する反作用としてである。かくして、領土化された家族共同体のシステムが崩壊したあとも、原始社会の言表行為の領土化された動的編成への回帰という幻想(<自然への回帰>、起源的意味作用への回帰、等々)が維持されるのである。こうして夫婦からなる核家族が人工的に再創造されるとともに、生産や市場の国際化を前にしながら、国家的諸問題、地域主義、人種差別、等々が大々的に回帰してくるという現状がもたらされているのである。(p249)』

 

 

この部分は、ガタリ自身の文章というより、後年(2011年頃)に編集した人たちの文ではないかと思う。

ともかく、ガタリが「顔貌性」とか「リトルネロ」という(やはり両義的な)概念を用いて分析した、資本主義による保守的・反動的な回収のシステムが問題とされているのである。70年代後半に、ガタリは既にそれを焦点化していたわけだ。

 

 

『もっと根本的に言うと、こうした操作は資本主義的主体化の様式の特殊ダイヤグラム的機能に属している。この操作にとって重要なことは、主要な権力構成体の包含する記号的構成諸要素を集中しミニチュア化することができる言表行為のオペレーター(作用素)を定着させるということである。そのオペレーターはそうした記号的諸要素を縮小しながら、領土化された動的編成の残存物のなかに存続し続けているリゾーム的可能性を持つ無数の動物・植物・宇宙の目を無効化する。(中略)このような条件の下では、もはやシニフィアン帝国主義の視線を逃れることのできるいかなる神秘の一点も存在しえない。(p277~278)』

 

 

ガタリのミクロ政治論の重要な意味は、その名の通り、ミクロな領域での暴力(破壊)やそれへの抵抗がもたらす変化こそが、もっとも根本的だと主張したことだろう。そして、ミクロな領域が現実世界の全体に対してもたらす破壊的ないしは(希望的にいえば)革命的な効果の大きさは、現在の社会では、ガタリが生きた時代よりも、さらに幾何級数的に増しているようにも思える(ガタリエコロジー論の重要性は、そこにあるだろう)。

だからこそ、この領域を支配し、革命に結びつくような変化を抑え込もうとする反動的な意志も一段と強まってくる。こうした意志は、もちろん運動体の内部にも深く埋め込まれて存在しているものだ。ガタリのミクロ政治論が、運動論としても参照できるのは、そのためである。

 

 

『自由とは単に精神の自由ではなく、同時にリゾーム的な働きであり、動的編成のあらゆる構成要素の次元においても現れる。(中略)<機械状の自由>は、単調なつまらないことが<自ずからのごとくに>生じる時点から、そしてまた、人が一方的な自動作用の広がりのなかに陥らずに、その生と記号化の能力を、動くもの、創造するもの、世界と人間を変えるもの、つまるところ個人的・集合的な欲望の選択に集中することができる時点から始まる。(p309~310)』

 

 

この箇所は、ガタリドゥルーズ=ガタリの思想が「ファシズム的」だとして批判されたことの意味を、端的に明かしていると思う。「機械状の自由」という言葉に、すべてが集約されている。キリスト教的でブルジョワ(資本主義)的でもある「個人の自由」の価値が否定されて、生物、無生物、宇宙に開かれたガタリ的な「自然=機械」への合致こそが、真の自由だとされる(シモーヌ・ヴェイユにも似ている)。

この自由観、自然観は、(ベルグソンと同じく)やはりスピノザ的なものだ。ガタリはこの時期以後、エコロジーということを主張の中心にしていくのだが、そこで考えられている自然(エコロジー)というのも、そういう意味のものだ。そして、エコロジー思想とファシズムとの(反人間中心主義的な)共通性ということも現代では批判の対象になったりする。

 

 

ここで思い出されるのは、戦前、三木清が、(民族主義をめぐる高坂正顕との論争的な対談のなかで)スピノザ主義を批判して、スピノザ主義には、コナトゥスの重視という点でマキャベリズムと共通する点がある、と語っていたことだ。

カントが重視したような一般性や普遍性というものに対して、スピノザの考え方は、個への固着ということ、つまりコナトゥスを重視する。そこから、個人や集団(民族など)の「感情」や「情念」のようなものを(理性に対して)強調する考え方が出てくる。それは、マキャベリズム、もっとはっきりいえば帝国主義・資本主義の論理に回収されるものだと、三木は言いたかったのだろう。

それに対して、三木が現実に提示しえた代案は、「東亜協同体論」のようなもので、やはり帝国や資本の力を脱しえないものだったことも、僕たちは知っている。

とはいえ、三木が、スピノザの思想が歴史のなかで持ち得る危険性を、鋭く見抜いていたことも確かだ。

 

 

しかし、ガタリがこうした反人間(中心)主義的ともいえる思想を形成していった背景には、精神医療の現場における(しかも患者たちの立場に重きを置いた)運動の実践があったはずだ。つまり、言語を占有する「個人」として相互的に承認し合える者だけが支配する(空虚な)社会への異議、変革の意思というものが、彼の思想の底にはある。

その意味で、特に本書の第一部に記された、次のような政治的・運動論的な発言に立ち返って、ガタリの言っていることを解釈する必要があるのだと思う。

 

『重要なことは行動を導いたり解釈したりしようとは決してしないことである。集合的言表行為が失調をきたし、その集団が内閉したリーダーシップをとろうとするなら、そうした集団は解体した方がいい。集団的言表行為の行動規則は、欲望の集団的言表行為のプロセスに絶対に取って代わろうとしないことである。そして、そのために、社会的領野の欲望の経済のなかで重要な役割を果たすいかなる記号化の様式とも断絶しないことである。そうした記号化の様式は、個人、身体、観念形成の過程、知覚、等々といった次元で介入するものであり、したがってそれが<理解可能>であろうとなかろうと、あるいはそれが<大義>の顕揚にとって有用であろうとなかろうと、社会的無意識の解明のために絶対に無視してはならない。(p97)』

『台湾、あるいは孤立無援の島の思想』

 

 

 

この本で特に印象深かったのは、国民党の馬英九政権に対して、台湾の社会運動が強力な抵抗を行い、民進党への政権奪回を実現したばかりか、民進党の政策を多文化主義的・脱資本主義的な方向へと大きく転換させた経緯を描いた論考、「社会運動、民主主義の再定着、国家統合」だ。

当時の馬英九政権(二〇〇八~二〇一六年)は、小選挙区制のもとで、四分の三近い圧倒的な議席を獲得。それを背景に、司法権を含む三権の支配と、メディアの掌握によって、親中国・新自由主義推進の権威主義的政治を行っていた。それが数年の間に、激しい抵抗と批判にさらされ、やがて民進党に政権を明け渡すことになるのだが、その主役は、あくまで社会運動、著者の言う「市民的ナショナリズム」の力であって、政党(民進党)ではなかったことを、著者は強調する。

その自立的な力は、台湾の人びとの圧政に対する抵抗の積み重ね(いわゆる「民主化」)の歴史が可能にしたものだった。議会政治のような制度的な政治のあり方(制度的熟議)に対して、デモなどの社会運動(非制度的熟議)が持つ役割の重要さを強調して、著者は次のように書く。

 

 

『制度的熟議の機能に危機が生じたときは、非制度的熟議が持続的に機能することで台湾の民主的国家体制の崩壊を防ぎ、それを再び確固たるものとすることを促してきたのである。(中略)台湾の活力ある市民社会や社会運動団体が非公式的な熟議機能を発揮し、その頃まさに出現しはじめていた新たな権威主義体制に対抗して有権者の支持政党の変化を促し、(中略)この台湾主体論あるいは進歩的本土主義が民進党の政治路線に立て直しを迫り、正当性をもつ新市民的ナショナリズムを新たに形成していくに際して重要な思想的母体となったことを論じたい。(p329)』

 

 

『しかし、二〇〇〇年に民進党政権が成立した後には、少数与党という制約と、社会運動を政治運動の延長あるいは付属物とみなす思考の影響で、双方の連携関係は次第に崩壊し、社会運動の役割も盟友から「監視者」へと変化した。ただし、社会運動と民進党の同盟関係の解体は、政治社会から独立した自主的な市民社会の誕生を意味しており、それはまさに民主主義の定着における必要条件のひとつである。(p333)』

 

 

『このように、民進党イデオロギーが「再進歩化」していく過程において、台湾市民社会は、政治社会で最も主要なイデオロギーのひとつである市民的ナショナリズムにかかわる言説の再構築を進めることを促し、あるいは迫り、進歩性と包括性をより高めながら政治的統合力をさらに強化する方向へ転化させたと見ることができる。(p358)』

 

 

この後に収められた魅力的な論考「黒潮論」では、民進党の路線をこのように「左寄り」(究極的には反資本主義の性格を持つもの)に大きく転換させた台湾社会運動(「市民的ナショナリズム」)の方向性が、この社会の(少なくとも百年近くにわたる)歴史に深く根付いたものであることが強調されている。

それは、近年においては次のような経緯を辿ったという。

 

 

『さらに重要なのは、李登輝許信良陳水扁のいずれもが、新自由主義のロジックを利用して台湾ナショナリズムの階級的基盤を再構築し、資本と新興の国民国家台湾を結合させようとしたことである。この点において、台湾ナショナリズムの社会的基盤は、この時期に明確に右寄りに移動したといえるのである。(p402~403)』

 

 

『二〇一四年に勃発した「三・一八反サービス貿易協定運動」は、台湾における国民国家形成がようやく成熟段階に到達したこと、さらには台湾の国民国家体制の内に左翼(階級)政治の新しい波が出現したこと(あるいは台湾ナショナリズムの社会的基盤が左寄りに移動したこと)を予感させるものである。(p392~393)』

 

 

『八十年間にわたる抑圧と封じ込めと歴史的曲折を経て、黒色という台湾本土における反権力の象徴は、二〇〇八年の野イチゴ学生運動において再び出現し、その後数年のあいだに、資本、帝国、国家暴力に抵抗し、民主と自決を求める台湾市民社会のシンボルカラーのひとつとなった。(p412)』

 

 

これ以上の詳しい説明は、ぜひ本書を読んでもらいたいのだが、特に一点だけ、書いておきたい事がある。

それは、著者の「市民的ナショナリズム」という用語に関してだ。上記の文章から分かるように、著者の考えの基盤となっているのは、ネーション、つまり「民族」ということである。彼が描くのは、台湾の市民社会という、一個のネーション、民族がいかに支配と暴力に抗って生き抜いてきたかということだ。

著者はエルネスト・ルナンの「民族とは、日々の人民投票である」という言葉を援用している。つまり、ここでいう「民族」とは、血統やエスニシティによる制限とは無縁な、「開かれた」共同性である。だが、それがあえて「ネーション」と呼ばれねばならないのは、そこに生きる人々の集団的な生の存在が賭けられているからだろう。

このことは、清帝国にはじまり、日帝や、(「反共」の名目の下に圧政を行った)国民党政権とその背後にあった米・日、そして中国ばかりではなく、国連によっても、その存在を否定され、あるいは支配され、暴力にさらされて、生存の危機に瀕してきた台湾の民衆の歴史を考えた時に、はじめてその必然性が理解できるのだと思う。

その歴史(と現在)を背景として紡ぎ出される著者の思想において、「民族(ネーション)」の概念は、無限に開かれてゆく性格を持っていると思われる。だが、考えてみれば、「民族」という語は本来、それが被抑圧者によって言われる場合には、そうした開放性を言外に含んでいるものではないだろうか?それが、閉ざされた、排他的な相貌を帯びるのは、抑圧する側の視線が、その開放性を、無視し消去しようとすることによってであるに違いない。

日本の私たちが取り組むべきなのは、私たちに内在するこの抑圧者の思考から、自らを解き放つことであり、それが(台湾の民衆のような)抑圧される他者の生へと私たちの生を連帯させていく、ほとんど唯一の回路なのではないかと思う。それは、もっと端的に言えば、抑圧されたものとしての自分たちの生を、権力に抗って奪回するということである。

上記「黒潮論」の最後に、呉叡人は次のように書いている。

 

 

『もしも新たな国民国家台湾が解放を渇望する社会的意志を実現することができず、万が一にもこの意志をねじ曲げ、抑圧しようとするならば、必ずやまた黒潮の新たな波濤が生じ、既成の政治的形式と境界による制限を突き破り、再び解放を約束するような新たな形式と境界を求めることであろう。(p413)』

『三ギニー』

 

 

ヴァージニア・ウルフの『三ギニー』は、第二次大戦前夜である1938年の状況下に、反戦をテーマとしてフェミニズム的な立場で書かれた傑作だ。これを評論と呼ぶべきか、フィクションと呼ぶべきかは分からないが。

ウルフは、この10年前に、やはりフェミニズムの先駆的な作品として名高い『自分ひとりの部屋』を書いているが、それと比較すると、個人主義的・資本主義内部的な解の提示から、社会変革的・反資本主義的といってよい視点への移行、いや深化がうかがえると言ってよいであろう。この変化は、たとえば次の一節によくうかがえる。

 

 

『もしも国家があなたがたの妻に対し、その労働に見合った生活費を支給するなら(中略)、もしも彼女の自由にもましてあなたがたの自由に欠かせないこの手段が講じられたなら、職業男性が現在しばしば飽き飽きしながら、自分でも喜びがほとんど感じられず、その職業にとっても利益がほとんどないのに続けねばならない苦行は、なくなるでしょう。あなたがたには自由のチャンスがもたらされ、すべての奴隷労働の中でもっとも卑しいもの、すなわち知性の奴隷労働が終焉を迎えるでしょう。(p204)』

 

 

ここには、熱心な労働党員としてのウルフの政治的な考えが示されているのだろうが、家事労働への公金の支給という政策の意義を、男性社会にも拡げて論じ、昨今話題の「ブルシット・ジョブ」に既に言及しているのには驚かされる。

実際、戦争と、(反戦運動を含む)平時の男性主義的・競争主義的な社会体制との同根性を掘り下げる、ここでのウルフの筆致は、反語的な表現においてだが、「職業」とか「(大学)教育」といったものの世間では自明と見なされている価値に、激しい批判を浴びせていて、その印象はアナーキストの文章のようですらある。

 

 

『先ほど伝記から取り出した事実によれば、職業は人にある種の否定しがたい効果をもたらすものと示しているようです。職業を実践すると人は独占欲に囚われ、自分の権利が少しでも脅かされると嫉妬に燃え、その権利に疑義が呈されれば激しく牙を剥きます。だとすれば、わたしたち女性も同じ職業に就くなら同じ性質を身につけるだろう―そう考えるのが正しいのではないでしょうか?そしてその性質が戦争を導くのではないでしょうか?(p123~124)』

 

 

『教育、それも世界最良の教育ですら、腕力を憎むことではなく使うことを教えるのです。教育とは、学ぶ者に気高くあれ、寛大であれと教えるどころか、所有物を独占したい、あの詩人の言う「気品」と「力」を自分たちだけで独占していたいと願わせ、持っているものを分けてほしいと頼まれようものなら、腕力よりもっと狡猾な方法で妨害するのではないでしょうか?そしてこの腕力とか所有欲というものこそ、戦争と密接な関係があるのではないでしょうか?人びとに影響を与えたい、戦争に抵抗できるようになってもらいたいというときに、大学教育が何の役に立つのでしょうか?(p58~59)』

 

 

特に、「職業」なるものが持つ(性)差別性・排他性の起源を「聖職」の成立に求めたくだりなども、きわめて先駆的な洞察といえるのではないかと思う。

ところで、先にウルフの社会的な認識の「深化」と書いたが、それは認識の度合いが深まったということだけでなく、それに伴って絶望の深さも増した、という意味でもある。この書物が、もっとも印象深いのは、その点だ。

それは、次の一節によくあらわれているだろう。

 

 

『楽観的で信じやすい性質の人なら、やがて新しい社会が素晴らしい調和の鐘の音を鳴らすだろうとか、貴兄の手紙がその前触れなのだろうとか考えるかもしれませんが、そんな日はまだ先でしょう。わたしたちはどうしてもこう自問してしまいます―人びとが集団となり<社会>となるとき、そこには個々人の中のきわめて利己的かつ暴力的なもの、もっとも理性と人間性を欠いたものを放出させる何かがあるのではないだろうか?<社会>なるものはあなたがたにはとても親切でも、わたしたちにはとても冷酷なので、わたしたちには向かないもの、真実を歪めて精神を変形させ、意志に足枷を嵌めるものと思えてしまいます。<社会>なるものは個人としての<兄弟>―尊敬に値するとわたしたちの多くに思える人たち―を埋没させ、その代りに怪物じみた<男性>を現出させる陰謀のように感じられます。この<男性>は、声を張り上げ拳を振りまわし、子どものように地表にチョークで線を引くのに夢中です。その不可解な境界線に従い、人びとは厳重に区切られ、人為的に囲い込まれます。(後略) (p192~193)』

 

 

ウルフは、この本の出た3年後の1941年に、59歳にして自ら命を絶っている。それは、ドイツによる英国本土への空爆やロケット攻撃が始まっていた時期だが、その絶望の理由は、戦争の進行ばかりでなく、彼女の心の奥底にもあったのだろう。

『アメリカ批判理論』

この本はとにかく面白かった。

 

 

ざくっと内容を言うと、トランプ政権下の米国において、新自由主義グローバル資本主義)と、権威主義の台頭(排外主義的情動の利用を含む)との結びつきをどう考えるかということがテーマで、この点に関してアドルノやマルクーゼ、ハーバーマスなどの批判理論(フランクフルト学派)を参照する論者たちの文章を集めたもの。

なかでも強力だと思ったのは、ウェンディ・ブラウンの論考、「新自由主義フランケンシュタイン」である。

まずその前半でブラウンは、特に米国の事例をとりあげながら、新自由主義(民営化)と「家族」的価値観との結びつきによる民主主義への攻撃のあり様を論述していく。

 

 

『(前略)私たちが考察してきた民営化の第2の秩序は、民主主義を、反民主主義的な資本価値よりもむしろ反民主主義的な道徳的価値ないし「家族」的価値観によって転覆させる。そこで行われるのは、民主主義的価値や制度に対する市場の戦争というよりも、家族的な戦争である。(p76)』

 

 

『公共的なものの経済的で家族的な民営化は、社会的なものに対する新自由主義的な誹謗中傷と結びつくことで、ともに「社会的正義」を専制君主的ないしファシスト的なものだとして攻撃する右派的立場を形成する。(p77)』

 

 

ここで、家父長的権力の反動的な再強化こそが、新自由主義のもたらす重大な政治的帰結であるということが示唆されているわけだ。

米国の文脈において、それは、これまで支配権を握ってきた白人男性たちの、不安に陥った情動の正当化という効果を生む。それがすなわち、トランプ現象である。

 

『「個人的な、保護された領域」が拡張されるとき、制限と規制とに反対することが基本的で普遍的な原理となるとき、そして社会的なものが落ちぶれ政治的なものが悪しきものとされるとき、白人男性支配の個人的憎しみと歴史的力とが解き放たれ正当化される。(p78)』

 

 

ブラウンの論点は、この本にも論考が収録されているナンシー・フレイザーのような、トランプを支持する貧困層の白人男性にも政治的共闘の可能性を模索しようとする左派の態度に対して、根本的な異議を呈するものだといえる。

トランプを支持するような白人男性たちを突き動かしている情動、それは、自分たちの支配が脅かされたことに対する反動(いわば支配への固着)であって、構造の不正義に対する怒りとは異質である。いや、異質などころか、それは不正義としての自分たちの支配(旧構造)を復権し、永続化しようという欲求を、その本質としているというべきだろう。

そう考えてみると、こうした反動的な情動と傾向は、「白人男性」に限らず、既存の安定した構造のなかで利益や権利を独占的に享受してきた、そして近年のグローバル化の動向によってその位置が脅かされたと感じている。多数者的集団に広く見られるものである可能性がある、と言える(ブラウンはそこまでは言っていないが)。

ここでブラウンは、この暗い(破壊的な)情念のあり方を、ニーチェニヒリズムの概念を援用して描き出そうとする。

 

 

『このようにして(ハンス・)スルガは、右派的自由が良心から解き放たれた諸相を、たんに新自由主義的利己主義や社会的なものへの批判によって描かれたからというだけではなく、ニヒリズム自身による良心の極端な抑圧のゆえに起こったものとして理解する。(p85)』

 

 

『倫理的な価値のニヒリスティックな分解は、社会的なものに対する新自由主義の攻撃と個人的なものの権利や力に結びつくことで、怒りに満ちた感情的で破壊的な自由を生み出す―ときおり保守的な右派性を身にまとっているときですら、それは倫理的貧困の兆候なのである。(p86)』

 

 

つまり、こうした情動は右派的・保守的な「正義」や「道徳」を標榜している場合でも、その実は、倫理性を極度に欠落させているところに特徴がある。

それは、新自由主義という不正義に対する抵抗や告発というよりも、倫理的な束縛に対する不満を、その本質としているのである。

ここで、これがこの論考のもっとも刺激的なところだと思うのだが、ブラウンは、マルクーゼの概念、「抑圧的脱昇華」を参照する。

人は、リビドーを文化や倫理の形成という形で「昇華」するが、資本主義・消費社会というものは、そうした「昇華」から、人びとをある仕方で「解放」することによってのみ成立する。それが、「抑圧的脱昇華」と呼ばれる。

 

 

『発展した資本主義社会における、自由で、愚かで、容易に操作され、些細な刺激と満足とに依存的とまではいえないものの没頭状態にあるような、抑圧的脱昇華の主体は、リビドー的に解放されより多くの快楽を享受するだけでなく、社会的良心と社会的理解力についてのより普遍的な期待からも解放される。この解放は、社会的なものに対する新自由主義的な攻撃と、ニヒリズムが促進する良心の抑圧とによって増幅されるのである。(p88)』

 

 

『彼(マルクーゼ)が言うには、その(抑圧的脱昇華の)現れ方は、異端者や反体制派とすら見えるのに十分なほど大胆ないし俗悪なものとなる可能性もある(中略)しかしながら、(中略)この大胆さと脱抑制は、一般的価値に対するのと同じように秩序の持つ暴力や偏見に対して立ち向かうというよりは、それらの徴候ないし繰り返しとなる。マルクーゼの見解では、抑圧的な脱昇華は特有の仕方で「自由と抑圧」そして逸脱と服従とを結びつけるのであり、今日頻繁に極右から噴き出している愛国主義ナショナリズムの野蛮で、獰猛で、ならず者的ですらある表現のなかに、それは明白に現れている。(p88~89)』

 

 

「怒れる白人貧困層」のようなものが、かりに実体としてあるとしても、その「怒り」の内実は「貧困」という階級的な要素にあるのではなく、「白人」、特には「男性」(家父長)としての特権が脅かされていることへの反動という体制(階級)従属的な要素にこそあるのだと、いうわけであろう。

そして、こうした個々の「怒り」、というよりも体制と同化するような憎悪や攻撃性は、新自由主義的な現在のシステムによって、とめどもなく増幅され強化されるであろうことを、ブラウンは警告している。

 

 

『抑圧的な脱昇華は、人間本能の他の源泉、すなわちタナトスの蛇口を開けることによって、暴力の新たなレベルとおそらく新たな形態すら解き放つ。マルクーゼが論じるように、エロスの脱昇華は「攻撃性の昇華された形態と同様に、昇華されない形態の増大とも」両立可能である。なぜだろうか。それは、抑圧的な脱昇華は、ただ自由のためにエロスを解放するだけではなく、セクシュアリティの範囲内におけるエロス的エネルギーの圧縮や集中を代わりに含むことがあるからである(中略)それゆえ、脱昇華されたエロスは、攻撃性を奮起させ、攻撃性と混ざりあい、攻撃性を強めさえする。(p89)』

 

 

ひとことで言えば、新自由主義的な社会は、「弱者」に向けられるような理不尽な暴力と相互依存的な関係にある、ともいえよう。この社会は、こうした暴力を蔓延させる本質を持っているし、むしろ、リビドーの方向性をそのように限定することによって、支配と管理を円滑に進めようとするものではないだろうか。

真に破壊されるべきなのは、この反永続的な支配の構造であり、その現在的な形態としての新自由主義なのである。

『病むことについて』

 

 

 

1925年に書かれた「『源氏物語』を読んで」という文章の中で、ヴァージニア・ウルフはこう書いている。

 

紫式部はたしかに、芸術家にとって、特に女性の芸術家にとって、この上もなく恵まれた時期に生きていた。生活は戦争に重きをおかず、人びとの関心は政治に集中していなかったのである。この二つの力の激しい圧力から解放され、生活は、振る舞いの込み入った事柄、男性が何を話したか、女性が何をはっきりと言わなかったか、静かな表面を銀色のひれでかき乱す詩、舞いや絵を描くこと、また、人びとが我が身を完全に安全だと感じるときにのみ生まれる、あの荒れ果てた自然への愛などに主として現われていたのである。(p68)』

 

 

このように述べてウルフは、生活における「ありふれたもの」や「実際に使うもの」を注視して、そのありのままの美しさを表現する『源氏物語』の完璧さを賛美している。

 だがその一方で、ウルフは、そうした『源氏物語』の美の世界の限界を次のように指摘する。

 

『(前略)だが、それにもかかわらず、それは一等星ではないのだ。ちがう。紫式部トルストイセルバンテス、あるいは西欧のその他のすぐれた物語作家に匹敵する存在であることを身をもって示していない。西欧のすぐれた物語作家の先祖たちは、彼女が格子窓から「みずからの思いに微笑む人びとの唇にも似て」咲き開く花を眺めているあいだ、戦ったり、小屋でうずくまっていたりしていたのだが。憎悪、恐怖、あるいは、さもしさという要素、経験の根といったものが東洋の世界からは取り払われており、そのため、粗野なことはあり得ず、下品さもあり得ないが、それとともに、活気、豊かさ、成熟した人間関係もまた姿を消しているのだ。そうしたものが欠けると、金は銀色になり、ぶどう酒には水が混じるのである。紫式部と西欧作家とのありとあらゆる比較は、彼女の完璧さと彼らの力を明らかにするだけである。(p71~72)』

 

 

 この文章は、一読すると、西洋の人であるウルフの「東洋の世界」に対する偏見を披歴したもののようにも思えるだろう。だが、ウルフがここで言っていることの核心は、別のところにある。

 なんといっても、この文章が(そして、作家ヴァージニア・ウルフの主要作品群が)、いわゆる大戦間期、1920年代から40年代の初めに書かれたものであることを忘れるべきではない。当時のウルフの主要関心事は、戦争やファシズムという形で露呈していた、この世界を覆う「支配」の論理に、どのように抗うかということであった。フェミニズムの問題も、またもっと後年、本書所収のものとしては1940年の「斜塔」においては明確になっている階級社会批判の立場も、もっとも一般的に言うならば、そこに源を持っていると言うことができよう。

 つまり、上の文章でウルフが『源氏物語』の限界として批判しているのは、階級支配や男性支配という形で現われてくる、その時代に応じた「支配」の仕組みを、この文学は脱することが出来ていないという点なのだ。それは『源氏物語』においては、天皇を中心とした貴族社会の支配の論理ということになろう。

 「女性の芸術家」が、戦争や政治の圧力から解放され、身の回りの生活(自然と人間を含んだ)の、ありのままの姿にあらわれる美を見出したと、ウルフは書く。だがそれは、本当は、政治や戦争を含んだ現実の根幹のところから女性が排除され、身の回りの生活の美だけを眺めているように規定された、そういう仕組みのなかに居るということである。

 もちろん、時代による限界というものはある。千年も昔の女性の文学者が、そういう自分を支配する仕組みを相対化したり、まして批判することは難しかっただろう。

 だが、ウルフが本当に批判したいのは、千年も昔のそうした美や文学のあり方が、ことさらに称揚される「大戦間期」の世界の、悪しき政治性だったのではないか。

 戦争や政治の現実から、女性や芸術家を分離し、身の回りの生活の領域にだけ閉じ込めておこうとすることは、戦争、とくに全体主義的な戦争を行なおうとする者たちには、必要度の高い振る舞いだったのだと思う(最近再評価が進んでいるという、帝国日本の「民芸運動」が想起される。)。

 その「支配」の力の現前に対して、ウルフは抗おうとしていたのではないか。

 そして、同じ「女性の」芸術家、文学者であっても、自分は、そのような支配の仕組みのもとに従属しはしない。設えられた格子窓から外の景色を眺めているだけの表現者にはならないという、この時代を生きる者としての決意が、上の文章には読みとれると思うのである。

 

 

 このように、この本に収められているウルフのエッセイや講演を読んで、強い印象を受けるのは、支配に対する明確な抵抗者、批判者としての彼女の側面であり、それは、源氏物語になぞらえて言うなら、「からごころ」とも呼べそうな部分である。この「からごころ」的なものを非難し、排除するところにこそ、源氏物語を称賛した(宣長に始まる)近世日本の文化的ナショナリズムの本質があったのだから、「源氏批判」を初め、この本での「女性の芸術家」(ウルフ)の言説が、天皇ナショナリズムにどっぷり浸かった現代日本の読者には受け入れ難く思えるのも、無理からぬところであろう。

 その(現代日本の)読者の立場で考えるなら、上の文章の「東洋の世界」という言葉を、「被支配の世界」と、そして、より具体的・政治的には、「天皇が居る世界」と置き換えて読んでみることが、適切であるように思われる。私たちは今もなお、「天皇」の磁場に閉じ込められて生きているのだから。ウルフの批判(闘い)から、私たちが読み取り、受け継ぐべきなのは、そういう姿勢だと思う。

 そう考えるとき、特に重要な意味をもって迫ってくるのが、1931年の講演「女性にとっての職業」の、次の印象深い一節である。

 ここでウルフは、すべての女性作家にとっての(内面の)不倶戴天の敵というべき存在、男性支配の秩序を受け入れて振る舞うことをささやきかけてくる「家庭の天使」との、格闘と殺害の不可避性について述べている。

 

『私は家庭の天使に襲いかかり、彼女の喉首を掴まえました。ありったけの力で彼女を殺しました。もし法廷に召喚されたら、自己防衛の行為だったと弁明するでしょう。私が彼女を殺さなかったら、彼女が私を殺したでしょうから。彼女は私の書評から核心部分を抜き取ってしまったでしょう。というのは、書きはじめたとたん分かったように、自分の意見がなければ、人間関係や道徳や性について真理と思うところを述べなければ、小説さえも書評できないのです。こうした人間関係や道徳や性の問題は、家庭の天使によれば、女性が遠慮なく率直に扱えないものなのです。女性は、自分の思い通りにことを運ぼうとするなら、魅了しなければ、懐柔しなければ―あからさまに言えば、嘘をつかなければならないのです。(中略)彼女はなかなか死にませんでした。その想像上の性質は、彼女にとって大きな助けでした。実在のものを殺すより、幻を殺す方がずっと難しいのです。最後の止めを刺したと思っても、彼女はきまってこっそりと舞いもどってきました。(p106~107)』

 

 

 「実在のものを殺すより、幻を殺す方がずっと難しいのです」。これはまさに、天皇制についての言葉として読むことが出来るものではないだろうか。

 この殺害に成功した人は、この国にどれだけ居るだろうか。一度成し遂げたと思っても、あるいはそう思いこんだ人ほど、いつのまにかその再来と、それへの従属を許す結果になったのではないだろうか。 

 天皇制の否定は、それがどれほど困難だったり危険であったりしようと、私たちが真に個人であり、人間であるためには不可欠なことだ。だが、その本当の困難さは、この不断の再来の経路を、どうやって断ち切ることが出来るか、ということにあるのだろう。それはもちろん、(世界中の誰もが行っている闘いと同型であるという意味で)普遍的な問いにならざるをえないものだと思う。