『三ギニー』

 

 

ヴァージニア・ウルフの『三ギニー』は、第二次大戦前夜である1938年の状況下に、反戦をテーマとしてフェミニズム的な立場で書かれた傑作だ。これを評論と呼ぶべきか、フィクションと呼ぶべきかは分からないが。

ウルフは、この10年前に、やはりフェミニズムの先駆的な作品として名高い『自分ひとりの部屋』を書いているが、それと比較すると、個人主義的・資本主義内部的な解の提示から、社会変革的・反資本主義的といってよい視点への移行、いや深化がうかがえると言ってよいであろう。この変化は、たとえば次の一節によくうかがえる。

 

 

『もしも国家があなたがたの妻に対し、その労働に見合った生活費を支給するなら(中略)、もしも彼女の自由にもましてあなたがたの自由に欠かせないこの手段が講じられたなら、職業男性が現在しばしば飽き飽きしながら、自分でも喜びがほとんど感じられず、その職業にとっても利益がほとんどないのに続けねばならない苦行は、なくなるでしょう。あなたがたには自由のチャンスがもたらされ、すべての奴隷労働の中でもっとも卑しいもの、すなわち知性の奴隷労働が終焉を迎えるでしょう。(p204)』

 

 

ここには、熱心な労働党員としてのウルフの政治的な考えが示されているのだろうが、家事労働への公金の支給という政策の意義を、男性社会にも拡げて論じ、昨今話題の「ブルシット・ジョブ」に既に言及しているのには驚かされる。

実際、戦争と、(反戦運動を含む)平時の男性主義的・競争主義的な社会体制との同根性を掘り下げる、ここでのウルフの筆致は、反語的な表現においてだが、「職業」とか「(大学)教育」といったものの世間では自明と見なされている価値に、激しい批判を浴びせていて、その印象はアナーキストの文章のようですらある。

 

 

『先ほど伝記から取り出した事実によれば、職業は人にある種の否定しがたい効果をもたらすものと示しているようです。職業を実践すると人は独占欲に囚われ、自分の権利が少しでも脅かされると嫉妬に燃え、その権利に疑義が呈されれば激しく牙を剥きます。だとすれば、わたしたち女性も同じ職業に就くなら同じ性質を身につけるだろう―そう考えるのが正しいのではないでしょうか?そしてその性質が戦争を導くのではないでしょうか?(p123~124)』

 

 

『教育、それも世界最良の教育ですら、腕力を憎むことではなく使うことを教えるのです。教育とは、学ぶ者に気高くあれ、寛大であれと教えるどころか、所有物を独占したい、あの詩人の言う「気品」と「力」を自分たちだけで独占していたいと願わせ、持っているものを分けてほしいと頼まれようものなら、腕力よりもっと狡猾な方法で妨害するのではないでしょうか?そしてこの腕力とか所有欲というものこそ、戦争と密接な関係があるのではないでしょうか?人びとに影響を与えたい、戦争に抵抗できるようになってもらいたいというときに、大学教育が何の役に立つのでしょうか?(p58~59)』

 

 

特に、「職業」なるものが持つ(性)差別性・排他性の起源を「聖職」の成立に求めたくだりなども、きわめて先駆的な洞察といえるのではないかと思う。

ところで、先にウルフの社会的な認識の「深化」と書いたが、それは認識の度合いが深まったということだけでなく、それに伴って絶望の深さも増した、という意味でもある。この書物が、もっとも印象深いのは、その点だ。

それは、次の一節によくあらわれているだろう。

 

 

『楽観的で信じやすい性質の人なら、やがて新しい社会が素晴らしい調和の鐘の音を鳴らすだろうとか、貴兄の手紙がその前触れなのだろうとか考えるかもしれませんが、そんな日はまだ先でしょう。わたしたちはどうしてもこう自問してしまいます―人びとが集団となり<社会>となるとき、そこには個々人の中のきわめて利己的かつ暴力的なもの、もっとも理性と人間性を欠いたものを放出させる何かがあるのではないだろうか?<社会>なるものはあなたがたにはとても親切でも、わたしたちにはとても冷酷なので、わたしたちには向かないもの、真実を歪めて精神を変形させ、意志に足枷を嵌めるものと思えてしまいます。<社会>なるものは個人としての<兄弟>―尊敬に値するとわたしたちの多くに思える人たち―を埋没させ、その代りに怪物じみた<男性>を現出させる陰謀のように感じられます。この<男性>は、声を張り上げ拳を振りまわし、子どものように地表にチョークで線を引くのに夢中です。その不可解な境界線に従い、人びとは厳重に区切られ、人為的に囲い込まれます。(後略) (p192~193)』

 

 

ウルフは、この本の出た3年後の1941年に、59歳にして自ら命を絶っている。それは、ドイツによる英国本土への空爆やロケット攻撃が始まっていた時期だが、その絶望の理由は、戦争の進行ばかりでなく、彼女の心の奥底にもあったのだろう。

『アメリカ批判理論』

この本はとにかく面白かった。

 

 

ざくっと内容を言うと、トランプ政権下の米国において、新自由主義グローバル資本主義)と、権威主義の台頭(排外主義的情動の利用を含む)との結びつきをどう考えるかということがテーマで、この点に関してアドルノやマルクーゼ、ハーバーマスなどの批判理論(フランクフルト学派)を参照する論者たちの文章を集めたもの。

なかでも強力だと思ったのは、ウェンディ・ブラウンの論考、「新自由主義フランケンシュタイン」である。

まずその前半でブラウンは、特に米国の事例をとりあげながら、新自由主義(民営化)と「家族」的価値観との結びつきによる民主主義への攻撃のあり様を論述していく。

 

 

『(前略)私たちが考察してきた民営化の第2の秩序は、民主主義を、反民主主義的な資本価値よりもむしろ反民主主義的な道徳的価値ないし「家族」的価値観によって転覆させる。そこで行われるのは、民主主義的価値や制度に対する市場の戦争というよりも、家族的な戦争である。(p76)』

 

 

『公共的なものの経済的で家族的な民営化は、社会的なものに対する新自由主義的な誹謗中傷と結びつくことで、ともに「社会的正義」を専制君主的ないしファシスト的なものだとして攻撃する右派的立場を形成する。(p77)』

 

 

ここで、家父長的権力の反動的な再強化こそが、新自由主義のもたらす重大な政治的帰結であるということが示唆されているわけだ。

米国の文脈において、それは、これまで支配権を握ってきた白人男性たちの、不安に陥った情動の正当化という効果を生む。それがすなわち、トランプ現象である。

 

『「個人的な、保護された領域」が拡張されるとき、制限と規制とに反対することが基本的で普遍的な原理となるとき、そして社会的なものが落ちぶれ政治的なものが悪しきものとされるとき、白人男性支配の個人的憎しみと歴史的力とが解き放たれ正当化される。(p78)』

 

 

ブラウンの論点は、この本にも論考が収録されているナンシー・フレイザーのような、トランプを支持する貧困層の白人男性にも政治的共闘の可能性を模索しようとする左派の態度に対して、根本的な異議を呈するものだといえる。

トランプを支持するような白人男性たちを突き動かしている情動、それは、自分たちの支配が脅かされたことに対する反動(いわば支配への固着)であって、構造の不正義に対する怒りとは異質である。いや、異質などころか、それは不正義としての自分たちの支配(旧構造)を復権し、永続化しようという欲求を、その本質としているというべきだろう。

そう考えてみると、こうした反動的な情動と傾向は、「白人男性」に限らず、既存の安定した構造のなかで利益や権利を独占的に享受してきた、そして近年のグローバル化の動向によってその位置が脅かされたと感じている。多数者的集団に広く見られるものである可能性がある、と言える(ブラウンはそこまでは言っていないが)。

ここでブラウンは、この暗い(破壊的な)情念のあり方を、ニーチェニヒリズムの概念を援用して描き出そうとする。

 

 

『このようにして(ハンス・)スルガは、右派的自由が良心から解き放たれた諸相を、たんに新自由主義的利己主義や社会的なものへの批判によって描かれたからというだけではなく、ニヒリズム自身による良心の極端な抑圧のゆえに起こったものとして理解する。(p85)』

 

 

『倫理的な価値のニヒリスティックな分解は、社会的なものに対する新自由主義の攻撃と個人的なものの権利や力に結びつくことで、怒りに満ちた感情的で破壊的な自由を生み出す―ときおり保守的な右派性を身にまとっているときですら、それは倫理的貧困の兆候なのである。(p86)』

 

 

つまり、こうした情動は右派的・保守的な「正義」や「道徳」を標榜している場合でも、その実は、倫理性を極度に欠落させているところに特徴がある。

それは、新自由主義という不正義に対する抵抗や告発というよりも、倫理的な束縛に対する不満を、その本質としているのである。

ここで、これがこの論考のもっとも刺激的なところだと思うのだが、ブラウンは、マルクーゼの概念、「抑圧的脱昇華」を参照する。

人は、リビドーを文化や倫理の形成という形で「昇華」するが、資本主義・消費社会というものは、そうした「昇華」から、人びとをある仕方で「解放」することによってのみ成立する。それが、「抑圧的脱昇華」と呼ばれる。

 

 

『発展した資本主義社会における、自由で、愚かで、容易に操作され、些細な刺激と満足とに依存的とまではいえないものの没頭状態にあるような、抑圧的脱昇華の主体は、リビドー的に解放されより多くの快楽を享受するだけでなく、社会的良心と社会的理解力についてのより普遍的な期待からも解放される。この解放は、社会的なものに対する新自由主義的な攻撃と、ニヒリズムが促進する良心の抑圧とによって増幅されるのである。(p88)』

 

 

『彼(マルクーゼ)が言うには、その(抑圧的脱昇華の)現れ方は、異端者や反体制派とすら見えるのに十分なほど大胆ないし俗悪なものとなる可能性もある(中略)しかしながら、(中略)この大胆さと脱抑制は、一般的価値に対するのと同じように秩序の持つ暴力や偏見に対して立ち向かうというよりは、それらの徴候ないし繰り返しとなる。マルクーゼの見解では、抑圧的な脱昇華は特有の仕方で「自由と抑圧」そして逸脱と服従とを結びつけるのであり、今日頻繁に極右から噴き出している愛国主義ナショナリズムの野蛮で、獰猛で、ならず者的ですらある表現のなかに、それは明白に現れている。(p88~89)』

 

 

「怒れる白人貧困層」のようなものが、かりに実体としてあるとしても、その「怒り」の内実は「貧困」という階級的な要素にあるのではなく、「白人」、特には「男性」(家父長)としての特権が脅かされていることへの反動という体制(階級)従属的な要素にこそあるのだと、いうわけであろう。

そして、こうした個々の「怒り」、というよりも体制と同化するような憎悪や攻撃性は、新自由主義的な現在のシステムによって、とめどもなく増幅され強化されるであろうことを、ブラウンは警告している。

 

 

『抑圧的な脱昇華は、人間本能の他の源泉、すなわちタナトスの蛇口を開けることによって、暴力の新たなレベルとおそらく新たな形態すら解き放つ。マルクーゼが論じるように、エロスの脱昇華は「攻撃性の昇華された形態と同様に、昇華されない形態の増大とも」両立可能である。なぜだろうか。それは、抑圧的な脱昇華は、ただ自由のためにエロスを解放するだけではなく、セクシュアリティの範囲内におけるエロス的エネルギーの圧縮や集中を代わりに含むことがあるからである(中略)それゆえ、脱昇華されたエロスは、攻撃性を奮起させ、攻撃性と混ざりあい、攻撃性を強めさえする。(p89)』

 

 

ひとことで言えば、新自由主義的な社会は、「弱者」に向けられるような理不尽な暴力と相互依存的な関係にある、ともいえよう。この社会は、こうした暴力を蔓延させる本質を持っているし、むしろ、リビドーの方向性をそのように限定することによって、支配と管理を円滑に進めようとするものではないだろうか。

真に破壊されるべきなのは、この反永続的な支配の構造であり、その現在的な形態としての新自由主義なのである。

『病むことについて』

 

 

 

1925年に書かれた「『源氏物語』を読んで」という文章の中で、ヴァージニア・ウルフはこう書いている。

 

紫式部はたしかに、芸術家にとって、特に女性の芸術家にとって、この上もなく恵まれた時期に生きていた。生活は戦争に重きをおかず、人びとの関心は政治に集中していなかったのである。この二つの力の激しい圧力から解放され、生活は、振る舞いの込み入った事柄、男性が何を話したか、女性が何をはっきりと言わなかったか、静かな表面を銀色のひれでかき乱す詩、舞いや絵を描くこと、また、人びとが我が身を完全に安全だと感じるときにのみ生まれる、あの荒れ果てた自然への愛などに主として現われていたのである。(p68)』

 

 

このように述べてウルフは、生活における「ありふれたもの」や「実際に使うもの」を注視して、そのありのままの美しさを表現する『源氏物語』の完璧さを賛美している。

 だがその一方で、ウルフは、そうした『源氏物語』の美の世界の限界を次のように指摘する。

 

『(前略)だが、それにもかかわらず、それは一等星ではないのだ。ちがう。紫式部トルストイセルバンテス、あるいは西欧のその他のすぐれた物語作家に匹敵する存在であることを身をもって示していない。西欧のすぐれた物語作家の先祖たちは、彼女が格子窓から「みずからの思いに微笑む人びとの唇にも似て」咲き開く花を眺めているあいだ、戦ったり、小屋でうずくまっていたりしていたのだが。憎悪、恐怖、あるいは、さもしさという要素、経験の根といったものが東洋の世界からは取り払われており、そのため、粗野なことはあり得ず、下品さもあり得ないが、それとともに、活気、豊かさ、成熟した人間関係もまた姿を消しているのだ。そうしたものが欠けると、金は銀色になり、ぶどう酒には水が混じるのである。紫式部と西欧作家とのありとあらゆる比較は、彼女の完璧さと彼らの力を明らかにするだけである。(p71~72)』

 

 

 この文章は、一読すると、西洋の人であるウルフの「東洋の世界」に対する偏見を披歴したもののようにも思えるだろう。だが、ウルフがここで言っていることの核心は、別のところにある。

 なんといっても、この文章が(そして、作家ヴァージニア・ウルフの主要作品群が)、いわゆる大戦間期、1920年代から40年代の初めに書かれたものであることを忘れるべきではない。当時のウルフの主要関心事は、戦争やファシズムという形で露呈していた、この世界を覆う「支配」の論理に、どのように抗うかということであった。フェミニズムの問題も、またもっと後年、本書所収のものとしては1940年の「斜塔」においては明確になっている階級社会批判の立場も、もっとも一般的に言うならば、そこに源を持っていると言うことができよう。

 つまり、上の文章でウルフが『源氏物語』の限界として批判しているのは、階級支配や男性支配という形で現われてくる、その時代に応じた「支配」の仕組みを、この文学は脱することが出来ていないという点なのだ。それは『源氏物語』においては、天皇を中心とした貴族社会の支配の論理ということになろう。

 「女性の芸術家」が、戦争や政治の圧力から解放され、身の回りの生活(自然と人間を含んだ)の、ありのままの姿にあらわれる美を見出したと、ウルフは書く。だがそれは、本当は、政治や戦争を含んだ現実の根幹のところから女性が排除され、身の回りの生活の美だけを眺めているように規定された、そういう仕組みのなかに居るということである。

 もちろん、時代による限界というものはある。千年も昔の女性の文学者が、そういう自分を支配する仕組みを相対化したり、まして批判することは難しかっただろう。

 だが、ウルフが本当に批判したいのは、千年も昔のそうした美や文学のあり方が、ことさらに称揚される「大戦間期」の世界の、悪しき政治性だったのではないか。

 戦争や政治の現実から、女性や芸術家を分離し、身の回りの生活の領域にだけ閉じ込めておこうとすることは、戦争、とくに全体主義的な戦争を行なおうとする者たちには、必要度の高い振る舞いだったのだと思う(最近再評価が進んでいるという、帝国日本の「民芸運動」が想起される。)。

 その「支配」の力の現前に対して、ウルフは抗おうとしていたのではないか。

 そして、同じ「女性の」芸術家、文学者であっても、自分は、そのような支配の仕組みのもとに従属しはしない。設えられた格子窓から外の景色を眺めているだけの表現者にはならないという、この時代を生きる者としての決意が、上の文章には読みとれると思うのである。

 

 

 このように、この本に収められているウルフのエッセイや講演を読んで、強い印象を受けるのは、支配に対する明確な抵抗者、批判者としての彼女の側面であり、それは、源氏物語になぞらえて言うなら、「からごころ」とも呼べそうな部分である。この「からごころ」的なものを非難し、排除するところにこそ、源氏物語を称賛した(宣長に始まる)近世日本の文化的ナショナリズムの本質があったのだから、「源氏批判」を初め、この本での「女性の芸術家」(ウルフ)の言説が、天皇ナショナリズムにどっぷり浸かった現代日本の読者には受け入れ難く思えるのも、無理からぬところであろう。

 その(現代日本の)読者の立場で考えるなら、上の文章の「東洋の世界」という言葉を、「被支配の世界」と、そして、より具体的・政治的には、「天皇が居る世界」と置き換えて読んでみることが、適切であるように思われる。私たちは今もなお、「天皇」の磁場に閉じ込められて生きているのだから。ウルフの批判(闘い)から、私たちが読み取り、受け継ぐべきなのは、そういう姿勢だと思う。

 そう考えるとき、特に重要な意味をもって迫ってくるのが、1931年の講演「女性にとっての職業」の、次の印象深い一節である。

 ここでウルフは、すべての女性作家にとっての(内面の)不倶戴天の敵というべき存在、男性支配の秩序を受け入れて振る舞うことをささやきかけてくる「家庭の天使」との、格闘と殺害の不可避性について述べている。

 

『私は家庭の天使に襲いかかり、彼女の喉首を掴まえました。ありったけの力で彼女を殺しました。もし法廷に召喚されたら、自己防衛の行為だったと弁明するでしょう。私が彼女を殺さなかったら、彼女が私を殺したでしょうから。彼女は私の書評から核心部分を抜き取ってしまったでしょう。というのは、書きはじめたとたん分かったように、自分の意見がなければ、人間関係や道徳や性について真理と思うところを述べなければ、小説さえも書評できないのです。こうした人間関係や道徳や性の問題は、家庭の天使によれば、女性が遠慮なく率直に扱えないものなのです。女性は、自分の思い通りにことを運ぼうとするなら、魅了しなければ、懐柔しなければ―あからさまに言えば、嘘をつかなければならないのです。(中略)彼女はなかなか死にませんでした。その想像上の性質は、彼女にとって大きな助けでした。実在のものを殺すより、幻を殺す方がずっと難しいのです。最後の止めを刺したと思っても、彼女はきまってこっそりと舞いもどってきました。(p106~107)』

 

 

 「実在のものを殺すより、幻を殺す方がずっと難しいのです」。これはまさに、天皇制についての言葉として読むことが出来るものではないだろうか。

 この殺害に成功した人は、この国にどれだけ居るだろうか。一度成し遂げたと思っても、あるいはそう思いこんだ人ほど、いつのまにかその再来と、それへの従属を許す結果になったのではないだろうか。 

 天皇制の否定は、それがどれほど困難だったり危険であったりしようと、私たちが真に個人であり、人間であるためには不可欠なことだ。だが、その本当の困難さは、この不断の再来の経路を、どうやって断ち切ることが出来るか、ということにあるのだろう。それはもちろん、(世界中の誰もが行っている闘いと同型であるという意味で)普遍的な問いにならざるをえないものだと思う。

『増補 闘うレヴィ=ストロース』

 

 

 

 本書によると、若い頃、社会党系の青年団体の熱心な理論家・活動家だったレヴィ=ストロースは、社会主義的な制度変革と同時に、あるいはそれ以上に、社会に倫理性をもたらすことを重視した。そして、ここでの倫理性とは、人間と自然との関係の重視という意味合いを強く持つものだった。

 本書中に引かれたポール・ニザンの『アデン・アラビア』を評した文章のなかにも、そのことははっきり書かれている。この小説を読んだことが、レヴィ=ストロースがブラジルに渡り、先住民の人々の暮らしのなかに分け入って調査を行うことの重要な契機となるのだ。

 本書の大きな特徴は、その長い人生の、特に若い時代をはじめとして、レヴィ=ストロースの文章や発言が数多く引用・紹介されていることだが、百歳を越えて生きた彼の、人類学者という生き方を決定づけたものが、若くして亡くなった(優れて政治的な)文学者の作品への共感と反論であったことは、感慨深いものがある。

 

 

 またレヴィ=ストロースは、ブラジルから帰国した後、第二次大戦中に書かれた文章の中で、フランスがナチス・ドイツに軍事的に敗北した責任を、社会革命という目的を放棄してブルジョワに同調した労働者階級の指導層にある(人民戦線内閣のことだろう)と主張しているのだが、そのような見方の根底にあるのは、ナチスの暴力は、欧州が非欧州に対して(植民地支配によって)振るってきた暴力を欧州の内部に転化したものに他ならない、という考えであったという。

 その根本的に暴力的(非倫理的)なあり方を改めなければ、ナチスの暴力に対する抵抗も皮相なものにとどまるしかない、ということだろう。

 

 

『文明世界が自分以外の世界すなわち植民地を支配しようとして作り出した関係の構造が、文明世界そのもののなかに凝縮して反復されたのが世界大戦であり、それによってもたらされた「ある種の国際的内戦」の解決には、世界全体として支配の構造を解体せねばならない。これが、国際的内戦の時代にかろうじて世界の余白に自分たちの宇宙を維持し生活を営んでいた人々を見届け、そこに侵食するデフォルメされた文明世界の背後に、自分のよってきたる文明の退廃を透視するというレヴィ=ストロースが獲得した遠近法だった。(p121)』

 

 

 西洋(それはレヴィ=ストロース自身でもあるが)の根幹をなしている、自然と隔絶した破壊的な生のあり方、思考の方法からいかに脱却し、他者や自然との倫理的な関係を回復していくかということが、レヴィ=ストロースのテーマになったのだろう(1970年代以降に彼の思想が大きな影響力を持った理由が分かる)。

 この、破壊的である西洋的な思考の特性、それをレヴィ=ストロースは「同一性」という言葉によってつかもうとしたようだ。他者を自分のなかに回収して消化(消費)してしまおうという意志。これは、レヴィ=ストロースの用法とは違うかもしれないが、むしろ魯迅が使ったような意味での「食人」的な論理、とでも呼べそうなものだ。マルクス主義者なら、それを資本主義の論理そのものだというかもしれない。

 だがレヴィ=ストロースは、それを、彼自身でもある西洋的主体の「倫理」の問題、「(深い)内面」の次元の問題に置き換えてしまう。というより、思考のあり方の問題として設定するのである。

 これが、構造主義と呼ばれる態度だが、ここで「同一性」の論理の代表として特にとりあげられるのは、「歴史」という概念である。

 

 

『ここで注目しておきたいのは「構造」とは、いわば「変われば変わるほど変わらないもの」という逆説的なものだという点である。それは、「変われば変わるほど変わるもの」、レヴィ=ストロースの言葉を使えば、変化することで「崩壊」に向かう「歴史」とは対照的な何かなのだ。(中略)いずれにせよ「歴史」とは質の異なる変化としての「変換」というものを考える可能性を求めて、レヴィ=ストロースは「構造」という着想にいたったのだということを確認しておこう。(p25~26)』

 

 

 レヴィ=ストロースにとっての「歴史」とは、変化(同一化)による破壊と崩壊の過程と、ほぼ同義に考えられていたことが知られよう(それは、思考のあり方としては、コギトと呼んでいいだろう)。そして、そうした破壊の現実にコミットする(それでは「歴史」の一部になってしまう、ということか?)のではなく、そこから距離を置いて、この破壊の過程の外部にある生と思考のあり方を、他者のなかにも、自分自身の内部にも見出そうとした。そう言えるのではないかと思う。

 この辺がどうも、私にとってはレヴィ=ストロースという人の(そして、構造主義というものの)分かりにくさである。ここで言われている「倫理」とは、(西洋的な)思考のあり方という、きわめて抽象的な次元に限定されるものではないのか。

 彼がなぜ、「思考」(構造)という次元に関心を限定したのかというと、それは自分自身が有しているコギトの暴力によって対象を破壊してしまうことを恐れたからだろう。その恐れ、繊細さが、彼の「倫理」性の内実なのだと思う。

 だが、その限定によって、確かに存在しているはずの、歴史的な主体の倫理性というものが放棄される。私には、そういう風にしか思えない。

 このことは、レヴィ=ストロースをはじめとするフランスの人類学者たちの多くが、南北アメリカ大陸という直接にはフランスの植民地主義の暴力をそれほど蒙ってはいない土地の先住民を、その研究対象としたこととも関係しているように思える。なぜ、彼らは、自国の植民地支配の被害者であるアフリカの先住民に目を向けることを忌避したのか?「構造主義」は、果して、その自分たち自身の意識の(そして「倫理」の)深層に届く射程を有していたのか?

 

 

 

 さて、それはともかく、西洋的思考の特徴である「同一化」の論理の外にあるような、その、いわば「他者の思考」のあり方を具体的に示しているものとして、(第二次大戦後の)レヴィ=ストロースが着目したのが、「神話」であったようだ。私は、こうしたレヴィ=ストロースの仕事に関して無知だったので、このくだりは大変興味深く読んだ。

 ナチスの時代を体験したレヴィ=ストロースの同時代人たち、例えばベンヤミンカッシーラーにとって、「神話」とは人を同一性のなかに巻きこみ破滅させてしまう怖ろしいものだった。

 だがレヴィ=ストロースは、「神話」というもの、なかでもトーテミズムに対して独自の解釈を与えることによって、「神話」を同一性の論理から解放し(彼にとっては、フロイトなどによるトーテミズムの「科学的」解釈も、この同一性の論理としての「神話」の一種に他ならなかった)、もう一つの方向、いわば変身と混交の論理に読みかえようとしたようだ。

 これは、レヴィ=ストロースの仕事のなかでも、もっとも魅力的な部分ではないかと思った。

 

 

『神話はそれ自体は意味を欠いた、しかしそれ自体以外のものに意味を与える解読格子であり、その構成単位はしたがって意味を欠いた音素に相同であり、多様な交換関係を産出しうるものとみなされなければならない。そしてさらに(引用者注 レヴィ=ストロースは)こう付け加えている。「これらのばらばらなデータ〔種々の疑問〕は互いにうまく結びつかず、たいていは衝突する。神話によって提供される理解可能性の母型は、それらを分節して首尾一貫した一個の全体とすることを可能にするのである。ついでに言えば、神話に与えられるこの役割は、ボードレールが音楽に付与しえた役割にそのまま通じることがわかる。」(p160~161)』

 

 

 ここで言われている「種々の疑問」というのは、例えば、「人はなぜ死ぬのか」というような根本的な生存の条件に関わる問いである。神話は、そうした種々の疑問に、整合的な答えを与えるものだ、というわけである。

 

 

『しかし歴史的出来事を構造に吸収してしまうトーテム的分類の論理は、けっして凝固したものではなく、歴史変化とは異なる多様な構造変換の可能性を開いている。(p189)』

 

 

『自然と文化を媒介して多様な社会構造の生成を可能にし、また集団と個体を媒介する種操作媒体によって成り立つトーテム的分類の体系は、社会を自然のなかに統合する方向をもっているといえる。(p191)』

 

 

 あるインタビューのなかで語られた、レヴィ=ストロースの次の発言は、特に印象深い。

 

 

『「先ほど神話について語りましたが、民族学者にとって神話とは何か述べてみましょう。南北アメリカのどのインディアンに「神話とは何か」と聞いてみても誰からも次のような答えが返ってくるでしょう。それは動物と人間が実際には区別されず、人の姿と動物の姿のあいだでどのようにも変えられた時代に起こったことの物語なのです。私たちにとってほとんど悲劇的ともいうべき真実とは、人間の条件には何かしら悲劇的なものがあると思うからですが、それは私たちが私たちと同様に生きていながら、意思疎通できないものたちと間近に接して生きている、ということなのです。神話の時代とはまさにそれが可能だった時代なのです。」(p194~195)』

 

 

 なお、この「増補」版には、レヴィ=ストロースを、大先輩のマルセル・モースとあわせて論じた文章と、弟子にあたるクラストルと比較した文章とが新たに収められていて、どちらもたいへん興味深い。

 (また、レヴィ=ストロースが7、80年代に社会生物学に対して厳しい批判をしていたということがちらっと書いてあり、どんな内容だったのかも気になった。)

『資本主義と奴隷制』

 

 

 

エリック・ウィリアムズの『資本主義と奴隷制』。

まず、書かれたのは第二次大戦中。著者は、トリニダード出身の黒人の学者だが、運動家・政治家としても著名な人で、後に同共和国の初代首相となる。

 

概要は、イギリスの近代奴隷制の歴史で、17、8世紀の重商主義時代に行われた奴隷労働による生産(西インド諸島の砂糖プランテーション)と奴隷貿易自体とがもたらした富が、19世紀の産業革命自由主義経済体制の基礎を作った、ということ。そして、その自由主義経済体制(=新帝国主義)によって、奴隷制、すなわち重商主義と「独占」の時代は否定され終焉することになった、という歴史観

つまり、著者は近代の奴隷制を、重商主義や「独占」(非自由貿易、ブロック経済みたいなもの)と不可分のものと考えていて、産業革命以後、英国が全世界を市場にすることが可能になると、より大きな利潤を得るためには「独占」は邪魔になり、それと結びついた奴隷労働・奴隷制も無用の長物になった。だから、英国は奴隷制を廃止し(1833年)、自由主義新帝国主義)時代の幕を開いた。

 

元々、西インド諸島の砂糖プランテーション奴隷制が採用されたのは、砂糖の生産(サトウキビの栽培)には集団的な強制労働という生産様式が適合的だったからだという。他の作物では、自由農民が個人的に作った方が生産的なものもあるが、サトウキビはそうではなかった。

そして、初めのうちは、黒人(アフリカ人)ではなく、英国内(アイルランドを含む)の貧しい白人たちが、この強制集団労働をやらされていた。この事実は、あまり知らなかった。西インド諸島流刑地みたいにされていて、微罪や冤罪で捕らえられた人、あるいは政治犯などが、死刑を免れる代わりに、送り込まれて働かされた。また、子どもを誘拐して売り飛ばす、ということも普通にあったらしい。

こうして膨大な数の白人たちが、奴隷船同様の船に押し込まれて送られ、働かされたのだが、ただ彼らは「奴隷」とは違っていたことを、著者は明言する。「白人奉公人」と呼ばれるが、一代限りで、身分が継承されるということはなかったし、刑期や一定の年期が開けると「解放」されて自由農になった。こうした自由農は、独立心が強く、政治的にも民主主義の志向が強くて、支配層にとっては厄介な存在だった。

そうした政治的な事情と、労働に対する適性のようなものもあって、白人ではなく黒人による奴隷労働が選択されたのだと、著者は言っている。

著者の基本的な考えの一つは、「人種差別は、奴隷制労働の産物である」ということだが、これは「黒人は生来、奴隷になることに向いている劣った人種だから、奴隷になったのだ」という誤った思想を反駁することに力点があるので、レイシズムの問題を軽視してるわけではないと思う。

 

さて、奴隷による砂糖の生産だけでなく、奴隷貿易自体も英国に富をもたらしたと、先に書いた。これは、他国にアフリカの奴隷を売りつけたり、送り込んで送料をとった、ということも勿論あるが、もう一つは、アフリカで奴隷を獲得するときに、アフリカの支配層に対して様々な贈り物(織物や、貴金属、銃、ガラクタなど)を見返りとして送ったらしい。それを奴隷業者が発注したことで、英国各地の諸産業が大儲けした、というのである。

このへんは、今日、どのぐらい論証されてるのか、よく分からない。ただ、ここからうかがえるのは、産業革命以前の時代には、アフリカの経済や文化(もちろん支配的な人たちのことだが)は、欧州よりも豊かだったのではないか、ということだ。実際、当時は綿織物がアフリカで最も好まれたのだが、当時の英国の織物の技術力では、インド製の綿織物のレベルに太刀打ちできなかったので、これは商品(贈り物)にならなかったという。

このあたりのことについては、グレーバーの『負債論』に、現地で伝統的に行われてきた奴隷の獲得や譲渡という行為(それはアフリカに限らず、全世界に見られる)が、近代の欧州資本主義社会の奴隷商人たちの出現によって、どれほど破滅的なものに激変したかが、詳細に書かれていた。

 

ところで、重商主義時代の英国の富の源泉だった西インド諸島の砂糖プランテーションは、また英国の「大陸植民地」、つまり北米の農業生産と深く結びついていた。したがって、米国の独立は、当時、英国の繁栄の時代の終焉を意味すると思われたのだが、実際には、ただ西インド諸島植民地が没落しただけで、英国の経済は、さらなる発展の新時代を迎えたのである。それは、奴隷制に変わる、新たな、そしてより大掛かりな資本主義的収奪の時代の始まりだったとも言えよう。

この本で、特に興味深かったのは、19世紀初め頃の、重商主義経済の失墜(産業革命による)と軌を一にして起こった、英国国内の奴隷制廃止論の熱狂についてのくだりである。

ここで著者は、一部にはたしかに、真の人道主義者と呼ぶべき人たちが居たことを認めながらも、この奴隷制廃止論が、全体としては「重商主義から自由主義新帝国主義)へ」という資本主義のモデルチェンジの枠内にあって、それを促進する機能しか果たさなかったことを書いている。

それは、この「熱狂」もその一部であった、1830年頃の英国内の「自由」を求める政治的な激動、選挙法改正をめぐる民衆の動きにしても、同じだった。

奴隷制廃止運動の場合、それは最終的には、英国の奴隷制のみを廃止し、英国がそこから利益を得る貿易の相手国(ブラジルや米国、フランスなど)の奴隷制については支持するという、まったくの「自由経済の論理」に収斂していった。また、この論者たちは、「かわいそうな黒人」に同情することには熱心だったが、貧困や侵略戦争など、その他の社会問題には関心を示さなかった。彼らは、解放された奴隷が土地を持ちたいと思うなどということは夢にも思わなかったので、解放されても黒人たちは貧しい使用人のままだった。1833年に、実際に奴隷制が廃止された時、黒人たちは教会に集まって神に感謝の祈りを捧げ、そして静かに仕事場に戻って行ったという。

実際に、黒人をこうした被搾取状態から解放し、資本のくびきを打ち砕く行動を起こしたのは、ひとり「奴隷たち自身」のみであったことを、最後に著者は強調している。西インド諸島の各地で起きた反乱は、資本家たち、白人の支配者たちを震撼させた(その反乱に対する「報復」は、今も続いているが)。この時に、反乱の中心となったのは、雇い主に信頼され、その腹心のようになっていた従順な奴隷たちだった。そのことが、かえって支配者たちをおののかせたのである。

『増補 エル・チチョンの怒り』

図書館が休館中ということもあって、かなり久しぶりに本屋で新刊の本を買った。

岩波現代文庫の『増補 エル・チチョンの怒り』(清水透著)だ。

 

 

この本は、著者がメキシコ南部チアパス州のチャムーラという先住民の村をフィールドワークした結果をまとめた1980年代後半の著作に、2010年代以降の人々と村の状況をリポートした増補分をあわせたもの。

メキシコ先住民(「インディオ」というのは、植民地支配の中で生み出された総称)の近現代史を背景に「村」の実情を描き分析した前半の部分だけでも、ずっしりと重いが、後半に書かれた近年の変容ぶりは、さらに衝撃的なものだ。

著者の基本的な見方は、先住民(ここではチャムーラの人々)の歴史や、社会の構造と、その変貌の経緯の全てを、外部からの破壊的な力に対する主体的な対応として捉える、ということのようだ。

 

『具体的なエスニック集団やその共同領域を、われわれは固定的なものとして捉えたり、固定的であることを無意識のうちに願っていることはないであろうか。あるいはまた、彼らの歴史における存在を単なる敗者とみなし、彼らに同情し、「伝説」の破壊を憂い、破壊者に対し怒り、しかも、彼らの世界における主体的ありようを見過ごしていることはないか。(p242)』

 

 

19世紀(ちょうど明治維新と同じ頃)に始まるメキシコの近代化やメキシコ革命にしても、それを契機としたり、刺激を受ける中で、先住民の人たちはさまざまな行動をとったり、選択をしてきた(反革命の立場に立った先住民たちの大反乱があったということを、初めて知った)。それらは全て、先住民たちが、数百年間危機にさらされ続けてきた自分たちの集団的な生を、外側からの暴力に対して守り抜いていこうとする営みであったとかんがえられる。

そうした主体的な選択の一つとして、著者は例えば、コーヒー・プランテーションでの労働をあげている。その栽培上の特性から、コーヒーは、村の行事のサイクルとうまく合致する産物であり、その意味で、コーヒー・プランテーションはいわば先住民たちによって「選ばれ」て存続することになったのだ、というわけだ。

ところで、1929年以来、約70年にわたり事実上の一党独裁体制を敷いた「制度的革命党」は、暴力的・抑圧的な政治を行ったことでも知られているが(その代表的な例は、メキシコ五輪開催の1週間前に起きた、有名な「トラテロルコの虐殺」だろう)、一方で、この体制は、インディオの村の自立的な存続や労働条件の改善ということについては、大きな貢献をしたようである。実際、本書を読んでいて、もしメキシコが、こういう体制ではなく、米国なり資本主義にべったりの体制であったなら、先住民の村の「伝統」ばかりか、その「存在」そのものが失われていたのではないかとも思った。これは、日本の状況を考え合わせればよく分かるだろう。

とはいえ、「制度的革命党」の統治(それは資本主義と無縁のものではないのだが)の下で、村の社会は大きな構造的な歪みを抱えることになる。それは、「カシーケ」と呼ばれる一握りの村人による富と権力の独占、という事態である。著者が前半部を執筆した1980年代には、このカシーケ支配が重大な問題だった。カシーケたちは、国家権力とも共謀して、反対者たちを暴力を使っても排斥し、その地位を守る。追放された村人は膨大な数にのぼり、やがてその人々が、非インディオの町の周辺に集住地区を作り、拡大していく。それが、当時の状況である。

ただ、そうした「カシーケ」への抵抗を村人たちに働きかけた、「赤い司教」と呼ばれるような進歩的なカトリック文化人類学者たちの姿勢(それらが村人に受け入れられることはなかった)に対しても、著者は根本的な疑問を呈している。

 

『しかし、神のまことの代理人は誰か、というチャムーラの問いが、「村」=「われわれ」の存在を認めその価値を理解する意志と感性とを外部世界に求めていることは事実だ。国家によって生み出されたカシキスモという、いわば外部世界の側の非を外部世界の論理にもとづいて打破しようとしても、それは論理を強要されてきた人びとにとっては、新たな論理の押しつけに他ならなかったのである。(p246)』

 

 

『「村」=「われわれ」の存在を認めその価値を理解する意志と感性』、それを私たちの社会は、また自分自身は持ちえているか。それが、著者の根本的な問いであり、それはもちろん、僕たちにも投げかけられているのである。

 

 

 

さて、後半で描かれるチャムーラの人々の「近況」だが、その最大の変化は、多くの村人が米国への「不法入国」を行っていることだ。相変わらずメキシコ社会の「底辺」に置かれている貧困が原因となり、米国で「稼ぐ」ために人々は旅立つが、何割かの人たちは、運よく国境を越えられても、ネバダ砂漠を越えることが出来ず白骨死体と成り果てるという。

それでも、そこで手に出来る金額は、メキシコに居ては考えられないものであり、一度村に帰ってきても、また何度も決死の「不法入国」を行う人が少なくないようだ。

米国側では、入国にはやたら厳格な一方で、一度仕事に就いてしまえば、「不法」であることを特に問題にされることはなく、(最低賃金でだが)働くことには不自由はないという。ここには、日本と同じく、低賃金・使い捨ての外国人労働力によって支えられている、資本主義経済の歪んだ実態が示されているようだ。

そして、「不法入国」するにあたって、「仲介人」に手数料などで莫大な借金を背負わされ、時には帰国する方途さえ失ってしまうというのも、どことも同じ事情といえるだろう(戦前の沖縄からメキシコへ移民した人々を描いた上野英信の『眉屋私記』にも、沖縄での同様の事情が描かれていた)。ここでは、その仲介業者となっているのは、ポジェーロと呼ばれる村人たち自身で、彼らの建てた白亜の豪邸が、今ではチャムーラのあちこちに見られるという。

こうした現状についての分析には、著者の(スペインによる征服以来の)「歴史」に対する見方が、集約的に示されている。

 

『まずは、今僕たちが目にする「伝統的な村」とは、征服によって再編され、近代化という長い歴史のなかで離合・集散を繰り返してきたという歴史を思い起こしたい。あえて極論するなら、今ある村は、時代の変化に応じて柔軟に自己を再編してゆく、仮の姿だといえる。そのような解釈が可能なら、大量の村人の都市への移動も米国への越境も、メキシコ革命によって空洞化された「村」の緊縛からの自己解放、さらに新自由主義という外圧に対する主体的な対応と捉えることができる。そして彼らは、移動する先々で柔軟にアイデンティティを再構成しながら、インディオとしての生活空間を一気に拡大しつつあると見て、まず間違いはなさそうだ。そして、ロレンソやパスクアルが大切に守り抜こうとしている「村」は、これからも恐らく、村を離れた人々の心のよりどころとして、光を灯し続けることとなるだろう。(p393)』

 

 

このように、人々への信頼と希望を記したうえで、著者はまた次のようにも書いている。

 

『そもそも、サン・クリストバル市に限らず、「市民社会」の中核ともいえる近代都市は、つねに都市内部の被差別集団の存在を前提として成立してきた。そして近代国家も、国内外の「後進地域」=(南)の存在があってはじめて発展を維持することができた。そのような理解に立つなら、そう簡単に都市も国家も、「インディオ社会」に対する差別的なフロンティアを放棄するとは思えない。(中略)そして、歴史的差別の構造が存続するかぎり、インディオインディオであることを放棄することもないだろう。(p393~394)』

『飼いならす』

 

飼いならす――世界を変えた10種の動植物

飼いならす――世界を変えた10種の動植物

 

 

 

この本をはじめて知ったのは、たしかジェームズ・C・スコットの『反穀物の人類史』を読んでいてだったと思うが、邦訳されて去年は新聞紙上で多くの人が高い評価を与えていた。特に、福岡伸一氏が誉めた影響が大きいようだ。

それで、近所の図書館にあるのを見つけたので読んでみたのだが、最新の知見を紹介する科学読み物としては大変上出来と思ったものの、違和感の方が多く残った。内容の優れている点については、多くの人が書いてると思うので、その違和感についてだけ書いておきたい。

 

 

本書でもっとも議論を呼ぶところは(僕は勝手にそう思ってるのだが)、遺伝子編集や遺伝子組み換え(GM)について、著者が、その懸念や問題点は詳しく指摘しながらも、概ね肯定的に展望しているという点だろう(しかも、モンサントという企業名まであげながら)。

GM導入の必要性については、地球人口の急激な増大による食糧危機に対処するためということなのだが、僕が違和感をもつのは、そもそも著者にとってGMが、やむをえない必要悪のようなものではなく、進化の観点から見て理にかなった当然のものとされていることである。

確証のない「危惧」や「不安」に基づいてそれに反対を唱えることは、無知・偏見か、何らかの悪しき保守主義に属するものと考えられているようだ(たしかに、反GMが政治的保守主義と相性が良いといえるところはあるであろう)。そうした人々は、飼育栽培における種の交配は問題視せず実行していても、遺伝子の組み換えとなると、急に警戒や反発を示す。その根底には、「種の純粋性」に対する信念(イデオロギー?)のようなものがあるのかもしれない、というわけだ。

 

『(前略)だが時として、種は人間の都合で定義される。とくに、飼育栽培種とその野生の祖先に対して別の種名をつけるときには。

 交雑が起こる可能性は、野生種への飼育栽培種の遺伝子の「混入」に関わる倫理的な問題ももたらす。飼育栽培種を作り出してしまったわれわれは、現在生き残っている近縁の野生種を懸命に守ろうとしている。しかしこれは、現実の世界に本当は存在しない「種の純粋性」という考えを呼び起こすのではないか?(p61~62)』

 

それに対して、著者が強調するのは、多様性の保持や交雑によって展開してきた生物の進化(淘汰)の歴史である。

 

『ヒト―および飼育栽培化された協力者―を含め、非常に多くの種が本質的に雑種であることが最近明らかになったが、これはまさに驚きの新事実だった。遺伝学者さえ、「種の境界」がどれほどあいまいなのかがわかって仰天した。この発見は、遺伝子をほかの種へ移すことを倫理面から考えるための、新しい土台を提供してくれるにちがいない。(p402)』

 

だが、逆に言えば、多様性が守られるべきであるのは、それが進化のレースに勝ち残っていくことにとって有利だからだ、ということになってしまうのではないか?

「多様性」や「交雑」をかたくなに拒む、保守主義というより極右的な思想(両者が全くの別物だとしてだが)をもつ勢力への対抗として読めば、著者の主張はある程度理解できる。

しかし、著者の「多様性」賛美は、結局のところ、人間(例えば科学者や大企業)が作り出しつつある現実の変貌(それは破壊でもあると思う)のあり方を、肯定するためのロジックになっているのではないだろうか。

著者は、進化をめぐる事柄が、道徳や倫理の問題ではないことを強調する。ただ、事実としてこう(今のように)なったというだけだ、というわけである。だが、大事な点は、この著者の「自然史」のなかには、(GMを含む)人間の営みも、すっぽり含まれているということだ。

 

『ひょっとしたら、自然選択と人為選択を分けること自体が人為的なのかもしれない。ほかの種の進化に影響を及ぼす種は、ヒトだけではない。われわれの存在は、相互依存のもとに成り立っているのだ。(中略)われわれが人為選択と呼んできたものは、ヒトを介した自然選択にすぎないのである。(p379)』

 

モンサントのような大企業のやってることも、国家の政策も、すべて「結果としてこうなっただけ」のこととして、道徳や倫理の対象外の事柄として捉えられる。いわば、(汎神論的な)神の目から見れば、遺伝子操作も環境破壊も「自然の営み」の一部にすぎない、ということになるのか。

 

 

著者はもちろん、人間による環境破壊を是認しているわけではない。だが、現実に働いている破壊の力に対して、それをけん制する著者の議論のベクトルは、あやふやに過ぎると思える。これは、進化や文明史についての著者の捉え方や語りの力が、現実の力(資本主義)を正当化するロジックになってしまっているということではないだろうか。

著者の根本にあると思えるのは、人間は自然に対する全能の支配者などではなく、その主体性は、自然との相互的な関係性によって規定されたものだという観点である。

 

『多くの場合、飼育栽培化は意図せぬプロセスとして始まったのではないか。種と種が出会い、ぶつかり合い、近しくなり、ついには進化の歴史が絡まり合ったのだ。われわれは、自分が主人で、ほかの種は自発的な僕(しもべ)か奴隷だと当たり前のように考えている。ところが、われわれが動植物と結んだこうした契約関係は、それぞれに異なる複雑なもので、共生や共進化の状態へと徐々に進展した。最初にこの協力関係が築かれたとき、背後に思慮深い意図はほとんどなかった。(p379)』

 

 

『われわれと相互に関わった種が、かりにそうなっていなかったら―たとえば存在しなかったり、捕獲できなかったり、家畜化できなかったりしたら―ヒトの歴史はまるで違う展開を見せていたはずだ。時にわれわれは、己の運命をすっかり支配し、外部の力はほとんどあるいは何も役割を果たしていないかのように、先史時代も含めた歴史を知ろうとする。だがどんな種の歴史も、単独で語ることはできない。あらゆる種は、ひとつの生態系のなかに存在しているのだから。われわれは皆、相互につながり、依存し合っているのだ。そして、われわれのもつれ合った歴史で働いてきたすべての相互作用には、幸運と偶然が織り込まれている。(p381~382)』

 

 

こうした、脱主体的ともいえる歴史観、文明観は、非常に説得的だ。

だが、われわれが全き主体でありえないということは、われわれの責任を解除するものではない。(共生の)生物史や文明史の脱主体化が、環境を改変・破壊していくことに対する人間の責任を回避するための手段になってはならないだろう。