吉川幸次郎『杜甫私記』

この本は1980年に出たものだが、内容は、1950年著者の吉川幸次郎が40歳の時に刊行された「杜甫私記」と、その約15年後に発表された続編「続 杜甫私記」とを併せたもの。

以下の引用は、いずれも「杜甫私記」の方からとっている。

杜甫という人は、50代の後半に死んだようだが、ずっと官吏の職にありつけず、各地を放浪したりした。結婚して子どもをもうけたのは、40歳を過ぎた頃だったろうと言われている。それでもまだ官吏になることは出来なかったのだが、44歳の時、ようやく下級官吏の仕事にありつくことが出来た。時あたかも、安禄山の反乱が起き、栄華と退廃を極めていた玄宗皇帝の治世が未曽有の大動乱へと突入していく、その同じ年のことである。

そんな時に、やっと職に就くことの出来た杜甫は、おそらくは生活上の事情から親戚のところ(多分)に預けていた妻子に会うため、奉先県という所へ小旅行をする。その時に作られたのが、有名な長詩「京より奉先県に赴くときの詠懐五百字」である。

その詩の最後の方で、杜甫が妻子の所にたどりついてみると、五人居た子どもの一人が飢えによる栄養失調のために亡くなっていたという。

貧困のために幼いわが子を死なせる。カール・マルクスと同じ経験を杜甫もしたのだ。

杜甫は、その悲しみと感慨を切々と吐露するが、そこでこの詩を終えるのではなかった。

若き吉川幸次郎による訳と注釈を読んでみよう。

 

 

『しかし忠厚な詩人は、わが身の上の悲しみを、わが身の上にのみ留めることはなかった。わが身の上の苦しみによって、ひろくあめの下の不幸な人たちの苦しみを、おしはかる。

 

 

生常免租税  生きては常に租税を免れ

 

名不隷征伐  名は征伐のうちに隷(い)らざるに

 

撫跡猶酸辛  跡(み)のうえを撫(かえ)りみては猶お酸辛(さんしん)をいだく

 

平人固騒屑  平(つね)の人は固(まこと)に騒屑(しどろ)なるべし

 

默思失業徒  黙して失業の徒を思い

 

因念遠戍卒  因りて遠き戍(いくさ)の卒(おのこ)を念えば

 

憂端齊終南  憂わしき端(ふし)は終南のやまにも斉(なら)び

 

澒洞不可掇  澒洞(こうどう)として掇(おさ)む可からず

 

 

おのれは士族のはしくれであるだけに、納税の義務もなければ、兵役の義務もない。それすらこうした悲しみを抱くとすれば、一般人の悩みはいかばかりであろうか。

かく家国の将来に対する痛烈な憂慮をもって、五百字の長詩はむすばれている。

 

吉川幸次郎杜甫私記』 1980年 筑摩叢書 p196~197)』

 

 

繰り返すが、この吉川の文章が書かれたのは1950年だ。

そこに、当時の日本の世相と筆者の感慨が重ねられていることは想像にかたくない。特に、「家国の将来」への憂慮、というような表現がそれをうかがわせる。

僕は、そこにはあまり共感しないが、ひとりの人としての杜甫の切実な感情が、詩を作ることのなかでおのずから見出していった流れの先に、「他者」である民衆の痛苦が、海のように見いだされたのではないかと思う(本当の普遍性とはそういうものだろう)。

「失業」の意味は、もちろん近現代と同じはずはないが、それが底辺の人々の苦境を示す語であることに違いはないだろう。

この長い詩は、杜甫自身にとっても、また中国の文学史のうえでも、画期をなすものであったという意味のことを、吉川は述べている。

 

 

もう一つ引いておきたい。

もう少し若い時期に書いたと思われる、「韋左丞丈に贈り奉る二十二韻」という詩の冒頭部分についてだ。韋左丞丈というのは、杜甫の親戚にあたる、位の高い官僚だったようだ。

その詩は、こう始められている。

 

 

『紈袴不餓死  紈(しろがね)の袴(はかま)はきたるものは餓えて死なず

 

 儒冠多誤身  儒の冠は多(しばしば)身の誤(さまた)げなり

 

 

 紈袴(がんこ)とは貴族の子弟を、その服装によって呼ぶ言葉である。そうした特権階級のもつ特権を、「餓死せず」でいい現しているのは、思い切ったいい方であるとせねばならぬ。詩の重量は、第一句に於いて、既に十全である。これに反し、儒の冠をかぶって先王の道を説くものは、常にうだつがあがらない。(同上 p82)』

 

 

貧困ではあっても、杜甫は官僚を目指すことの出来る階級に属する人間だった。

だから、彼にとっては民衆は、そもそも「対象」にすぎない存在だっただろう。それが真に「他者」として見いだされるには、上に触れたような体験と、詩作の営為が必要だったのだと思われる。

だが、詩作を拠り所とした彼の生きる姿勢は、常に民衆のそばにあるものだったとも言えると思う。

「餓えて死なず」という表現の激しさは、やがて来る、彼自身と家族の痛苦を予見しているかのようである。

 

 

 

ジェイムソン『21世紀に、資本論をいかに読むべきか?』

前回に書いた「オリガーキー」という言葉だが、ググってみたら寡頭制のことだと書いてあった。少数の人間が支配する政体のことで、多数支配を対義語とする、とあった。まあ、今の日本の実態にほぼあてはまりそうである(今だけか?)。

さて、この本も図書館が閉館になる寸前に駆け込みで借りたもの。著者のフレデリック・ジェイムソンだが、日本のポストモダンブームが全盛だった80年代ごろにはよく聞いた名で、僕も『言語の牢獄』という本を読んだことがあるが、なんだかよく分からなかった。

今回、この本を読んでみて、これほど直球の左翼の思想家だったのかと、驚いた。日本のポストモダンブームを代表していたような論者たちの現状と比べると、さすが米国の左翼知識人は、筋金が入っていると思う。

さて、書名の通り、「いま資本論を読み直す」という、特にリーマンショック後、急増した趣旨の本なのだが、ジェイムソンの『資本論』読解は、一見意表を突くものである。それは、「失業」という概念の重要性に中心を置くということだ。

 

 

『このマルクスの「法則」、すなわち「資本が蓄積されるにつれて、労働者の状態は、彼の受ける支払がどうであろうと、高かろうと安かろうと、悪化せざるをえないということになるのである」という法則は、戦後の一九五〇年代、六〇年代の裕福な時代には、おおいにあざけりの対象となった。今日では、それはもはや冗談の種ではなくなっている。グローバリゼーションをマルクスが予言したことと並んで、この分析こそ『資本論』の今日的で世界的な規模におけるアクチュアリティーを更新するものだと言える。また別の意味では、この分析は「包摂」の一局面を指し示しているとも言える。経済外的なもの、社会的なものは、もはや資本の外側には存在せず、それらに吸収されてしまった。(中略)したがって、失業―あるいは極貧、貧民―の状態にあることはいわば、資本によって雇用されて失業の状態にあるということになる。失業者はまさしく、機能していないことによって、経済的な機能を果たしているのである(たとえ彼らがその働きに対して報酬を得ていなくとも)。(p116)』

 

 

たとえば熊野純彦のように、金融資本の重要性に着目したことに『資本論』の現代的読み直しの鍵を見ようとする立場もあると思うが、ジェイムソンはそうではなく、『資本論』がやはり産業資本の構造を論じた本であることを強調する。

なおかつ、これも広く見られる「本源的蓄積」や「植民地主義」の問題に重きを置くような『資本論』の読解にも、ジェイムソンは異を唱えるのである。

 

 

『われわれは引き返して、(引用者注: 植民地化や原始的蓄積とは)別の道を辿らなくてはならない。それは組み合わせのもう半分、つまり労働人口の生産の道である。この道を辿ることを正当化する術は、そもそも資本主義を作り上げたのは労働者であるという事実を思い出すことである。(p133)』

 

 

ジェイムソンが着目するのは、生存と再生産の問題とも呼べる次元である。

そこから、マルクス自身の著作としては未完に終わった『資本論』全体の構想を想像し直すという雄大な観点が出てくる。

 

 

『ここまできてようやく銘記されるべきは、再生産の問題こそが、時間のパラドクスを解く鍵なのであり、『資本論』がこの再生産の問題全体に着手するときは、『資本論』の全体計画が開示されるときでもある、ということである。すなわちマルクス共時的な「表象」が仮面を外され、見捨てられ、第二巻のめまいのするような流通のリズム、第三巻の読者をさらに惑わせるような多資本間の共時性のイメージを投射しつつ、資本システムの巨大な時間性がものものしく姿を現わすのである。(p176)』

 

 

これは、ジェイムソンらしいと言えると思うが、彼は『資本論』という書物では、「労働」が描かれてないということに注目する。マルクスが、この書物での冷徹な資本主義分析を通して迫ろうとしたもの、それは「労働」の表象不可能性であり、また労働者とその家族が置かれた生存の現実、一言で言えば「貧困」の表象不可能性であると、ジェイムソンは言う。

この、資本主義という動態の核心をなす描き得ない(表象不可能な)もの、言い換えれば、表象不可能な現実の核心、それこそが、マルクスが『資本論』の弁証法的定式によって暴き出した「失業」というものだ、ということになる。

そして、この「失業」という生存の現実が、資本主義という動態の行末の鍵を握っているという事実は、マルクスが予言した資本のグローバル化(暴力的拡大の全地球的展開)が現実のものとなった現在においてこそ、その重みを最も増している、と言うのである。

 

 

弁証法的な定式の衝撃は、資本主義的生産様式が、社会民主主義のような施策によっては任意に停止することができないかたちで拡大を続け、生産を続けるものであること、新しい形の蓄積と失業者予備軍の拡大とが破滅的に一体となっていることを強調したことにあった。そして現在、その事態は、地球規模で進行している。利潤動機は、いまや「経営合理化」のイデオロギーのもとで拡大増幅されている。銀行や投資家は、「効率」の名のもとにより多くの失業を生み出すことのできる企業を評価する。こうした展開は異常なことではなく、歴史の流れから言って論理的に妥当であり、資本主義そのものの拡張に伴う性質のものなのである。マルクスの「絶対的な一般的な法則」はこの動態性を指摘しようとしていたのであり、たんに一国の企業文化のような、余計な、もしくは避けられるような戦略としてそれを嘆くことに留まっていたのではない。(p217)』

 

 

そして、結末部では、次のように言う。

 

 

『本書で概略してきた『資本論』の動態性によってこそ、われわれはグローバリゼーションをマルクス主義の立場から分析することができるわけだが、この分析が可能にするのは、こうした多数の悲惨と強制的な怠惰の状況を喜んで記録することであり、軍閥と慈善団体の侵略にひとしく無力に餌食となってしまう人口層を、また、活動もなく生産もない、そこでは純粋に生物学的な存在の時間性が解釈されうるような、あらゆる形而上学的な意味から言ってありのままの生活を、喜んで記録することである。 

 私の信じるところでは、こうしたすべてのことを、さまざまな悲劇的な情熱ではなく、グローバルな失業の観点から考えることこそが、いま一度、地球規模での変容をもたらす新しいタイプの政治学を発明することにつながるのである。(p253~254)』

 

 

 

シュトレーク『資本主義はどう終わるのか』

新型コロナで緊急事態宣言が出された時、図書館が閉館に入るというので、急遽近傍の図書館に行って何冊か借りたうちの一冊。そろそろ返すことになりそうなので、その前にここにメモをとっておこう。

この本は、2008年のリーマンショックをうけて書かれた幾つかの論考からなっている。時系列的には、序文の「資本主義―その死と来世」が最後に書かれてると思うのだが、ここに資本主義の未来(死と来世)についての著者の考えが集約して述べられている。なので、ここを中心に引用する。

資本主義の死と言っても、シュトレークが描くのは、資本主義の本性によって「社会」が崩壊した後の、暗澹たる未来像である。だから正確には、「資本主義社会(民主制資本主義)の死」と呼ぶべきかと思う。

 

 

『現在進行中の最終的危機を経て資本主義に代わるのは、社会主義やその他の明確な社会秩序ではなく、長い空白期間であろう。(中略)空白期間はマクロレベルにおけるシステム統合の破綻を示している。そのマクロレベルの破綻は、ミクロレベルにいる個人を支える制度的基盤や集団的支援の破壊をもたらし、社会生活から秩序を奪い去る。安全と安定は最小限になり、諸個人はそれぞれ勝手に社会を構成するようになる。(p24)』

 

 

『つまり資本主義の社会秩序は、別の秩序ではなく無秩序と混乱に取って代わられるのではないか。(中略)その社会では、生活はつねにその場しのぎで、個人は生活構造ではなく生活戦略をもつように強いられる。オリガーキー軍閥には豊かな機会が提供され、その他の者には不安と不確実性が押しつけられる。ある意味では、それは五世紀にはじまり後世に暗黒時代と呼ばれる、中世の長い空白期間に似ている。(p54)』

 

 

オリガーキーという言葉は初めて知ったが、権力者の周りのごく一握りの親密な人々のことをさすようだ。例えば、唐の玄宗皇帝の時代だと、腐敗の象徴として憎悪の的になった楊貴妃とその一族とか、今の言葉でいえば、「お友達」ということである。

著者の描く、そうした社会のあり様(僕らは既によく知ってる気もするが)を、もう少し具体的に見てみよう。

 

 

『制度が社会的行為を規定することができなくなると、社会秩序を維持する役割は文化に求められる。制度が社会秩序を支えられない以上、日常生活の秩序を維持する役割は、マクロからミクロへ移される。つまり、最低限の安定性と確実性を確保する役割、最小限の社会秩序を創造する役割は個人へと移動する。そしてポスト資本主義の空白期間におけるポストソーシャル社会で人々の行動プログラムを支配するのは、次のような新自由主義エートスである。すなわち、競争に勝つための自己啓発、市場に役立つ人材の育成、仕事への情熱的な献身、政府が機能しない社会がもたらすリスクを呆れるほど楽観的に受け入れる態度である。(p56)』

 

 

あれあれ、これほとんど今のことやん。「政府が機能しない社会」って、ほとんど日本の現状そのものだし。米国なんかも大体同様に見える。

そうか、「北斗の拳」じゃないが、資本主義社会はもう死んでいたのだ。今は、実は「来世」だったのだ。

 

 

『秩序崩壊時代の社会生活は必然的に個人主義的である。集団的制度が市場の力に侵食され、アクシデントがいつ起こってもおかしくないにもかかわらず、それを防ぐための集団的組織は失われている。誰もが自分を守ることに汲々とするようになり、社会生活の基本原則は「自助努力」になる。リスクが個人に帰せられることは、その防衛も個人に帰せられることを意味する。そのために競争的努力(ハードワーク)と民間保険、それから興味深いことに家族という前近代的な社会的紐帯が求められる。集団的制度が機能しなくなると、必然的に個人の分断は「下から上へ(ボトムアップ)」と進行、社会構造は「市場」の圧力に適応した「上から下へ(トップダウン)」型になる。そして社会生活は、自分の私的な人間関係にもとづいて(その手段をもっていれば)ネットワークをつくる個人から成り立つようになる。そのような知人関係にもとづくネットワークは、横にひろがる社会構造を生みだす。これは自発的契約に似た関係であり、柔軟だが消滅しやすい。現在の変化する状況でそのネットワークを維持するには、「ネットワーク形成」をしつづけなければならない。そのための理想的なツールが「新しいソーシャルメディア」である。これによって、社会関係にそなわる義務的な形態が自発的形態に、市民共同体がユーザのネットワークに置き換えられ、個人のための社会構造がもたらされることになる。(p58~60)』

 

 

もはや「自分の私的な人間関係」にもとづいたネットワークしか意味をもたないような社会(社会とも呼べないが)、それが現状ということだろう。「新しいソーシャルメディア」はそれに適合的だが、それは義務をともなう社会参加や、市民共同体とは異質であることを、シュトレークは強調する。

これは、政治参加というものの決定的な変容にも関わっており、他の個所では、次のようにも言われている。

 

 

『市民的義務としての政治参加は、高度消費社会の文化において、娯楽としての政治参加に変容したのである。(p155)』

 

 

シュトレークは新左翼の出身のようだが、少なくとも「序文」を書いた時点では、社会運動の力にまったく期待を抱かないようになったようだ。

資本主義だけでなく、社会の力そのものも、すっかり死んだというのが彼の認識なのだろう。

そこが、グレーバーのような人とはまったく違う。

 

 

『その背後には過酷な事実が隠されている。すなわち資本主義の発展は、これまで資本主義そのものに制限を加えて安定させてきた装置のすべてを破壊してしまった、という事実である。(p81)』

 

 

ただ、シュトレークの本領は、その徹底した資本主義経済の分析にあるといえる。それは、マルクスローザ・ルクセンブルグ(『資本蓄積論』)、カール・ポランニーという正統的な線を受け継ぐものだといえるだろう。

利潤を求めて無制限に拡大していく資本主義は、民主主義とは、本来矛盾する、敵対的なものであるというのが、彼の基本認識だ。この立場から、たとえばハーバーマスウォーラーステインのようなシステム(資本主義体制)を肯定するような議論は、はっきりと批判される。

つまり、シュトレークの言う民主主義とは、資本主義体制を補完するようなそれではなく、資本主義の暴力に対抗して、それを抑制するような、いわば「民衆の力」の言い換えなのだ。民主主義というものの持つこの両義性のなかで、たとえば韓国の民主化運動も、ずっと葛藤してきたと言えるだろう。

その(資本主義と民主主義との)矛盾が一時的に蓋をされていた戦後の短い一時期(成長期・福祉国家時代)が破たんした後、その破たんをなんとかして覆い隠そうとしてきた過程として、現代の経済政策の歴史を描き出す。その分析には、教えられるところが非常に多い。たとえば、70年代末ごろから多くの国が抱えるようになった財政赤字の真の原因は、新自由主義者たちが宣伝したように福祉予算の増大や公務員の給料の増加などではなく、グローバル化によって大企業や富裕層が低い税率を求めて国境を越えるという事が起こり、それに対応してそれらへの税率を下げざるを得なくなったことにある、という指摘である。では、そのグローバル化をひき起こしたものとは何かと言えば、果てしない拡大へと突っ走る資本主義の本性に他ならないのだ。

 

 

先に書いたように、シュトレークのこの本は、力づけられるようなものではないが、現状を正確に把握し、なすべきことを考えていく為の土台には、十分なりうるものだと思う。

最後に、暗い未来(現状)への予言の極めつけのような文章を、もう一つ引いておこう。

 

 

『システムの統合性も社会の統合性も、ともに回復不能なほど損傷を受けており、その損傷はこれからもますます広がる一方であるように思われる。もっともこれから起こりそうなことは、小規模・中規模な機能不全がたえず蓄積されていくことである。それらの機能不全は致命的とはいえないにせよ、修復される見込みはまったくない。またそれらの機能不全は蓄積されていくうちに、それは個別的対処の限度を超えることになるだろう。その過程で、システム全体を構成する個々の部分は、しだいに相互間の不一致を示すようになり、あらゆる種類の機能不全が増殖し、予期せぬ結果が広がっていき、しかもそれらの因果関係は把握不能になるだろう。不確実性は高まり、予測能力と統治能力の低下(現在までの数十年の間に進行した)とともに、ありとあらゆる危機―合法性や生産性、あるいはその両方にまたがる危機―が次々と急速な連鎖をともなって生じるだろう。それらの危機に対して、目先のことしか考えていない浅はかな対処が無数に行われるだろうが、それもアノミー的混乱をきたした社会秩序の深い部分から日常的に生じる惨事を前にして、何の効果も上げないだろう。(p82)』

 

 

資本主義はどう終わるのか

資本主義はどう終わるのか

 

 

ガタリ『三つのエコロジー』

この本の表題になっている論考は、1989年に発表されたものだそうだ。

当時の世界的な関心事として、ここでは特に三つの出来事が例に挙げられている。それは、チェルノブイリエイズ、それにドナルド・トランプによるNYとアトランティックシティの貧困層の排除、つまりジェントリフィケーションである。

この年には、天安門事件も起き、やがて「壁」の崩壊、日本国内でも、天皇の死、バブル崩壊と、内外で「グローバル経済」時代なるものへの転換(資本主義のモデルチェンジ)が本格化していった時期であったと思う(その「グローバル」なるものの内実が、まさに今、露呈しつあるとも言えるが。)。

さて、そのさなかでの、ガタリの発言。

もちろん難しい本で、詳しくは分からないのだが、目立つことは、ガタリがこのグローバル社会における(ガタリ自身はこの語を使っていないが)マスメディア権力の役割に大きな注意を払っていることである。それは、彼の独特の「主観性」(の生産)の概念に関係している。

 

 

『問題は、悲惨や絶望の同義語にほかならないマスメディア加工の方向にではなく、個人的そして/あるいは集団的な再特異化の方向にむかう主観性の生産装置とはどのようなものでありうるかを検討することである。(p18)』

 

 

『およそありとあらゆる場所で、またいかなる時代においても、芸術と宗教が、「実在化をうながす」ような意味の切断をひきうけるところに成り立つ実在的地図の根城であった。しかし現代にいたり、有形・無形の物質財・非物質財の生産が個人的・集団的な実在の領土の一貫性をそこなうかたちで激化しているのにともなって、主観性のなかに巨大な空洞が生じ、ますます不条理な、どうしようもない事態におちいろうとしている。(p37)』

 

 

こうした不安な状況に直面して、社会は「過去への回帰」という危うい閉じこもりてきな傾向を示していると、ガタリは指摘する。

 

 

『そのなかには、ときに、日本におけるように宗教的信仰とほとんどかわりのないものも見うけられる。移民者や女性、若者、さらには老人に対しても隔離差別的な態度の変化が見られるが、これも同じような思考レヴェルのなかで生じている事態である。主観的保守主義とでも名づけうるこのような現象の再浮上は、単に社会的抑圧の強化のせいだけに原因を帰すべきものではない。それは同時に、社会的作用因子の総体を巻きこんだ一種の実在的けいれん状態に由来してもいるのである。ポスト産業資本主義―私としては統合された世界資本主義という形容の方を好むのだが―は、その財とサービスの生産構造を取りしきる権力中枢部の位置を、しだいに、記号や統語法(シンタクス)や主観性の生産構造の方向へずらそうとしている―わけても、メディアや広告や世論調査などを支配統制するという回路を通して、それを実行しつつあるのである。(p38~39)』

 

 

『資本主義的社会は三つのタイプの主観性をつくり出して、それらを資本主義のために奉仕するようにしむける。すなわち、第一に、給与生活者階級に対応する集列的な主観性、つぎに、膨大な「保証なし」の大衆に見合った主観性、そして第三に、支配的階層に対応したエリート的主観性である。社会総体の加速度的なマスメディア支配は、このいくつかの異なった人々のカテゴリーのあいだにしだいに明瞭なひらきをつくりだしていこうとする。エリートの側は、物質財や文化的手段を十分に享受し、読み書きは最小限にとどめながら、ものごとの決定にかかわる権威と正当性の感覚を身につける。それに対して、従属する諸階級の側では、ものごとに対する投げやりな態度、みずからの生に意味を与えようとする希望の喪失感などがかなり一般的に醸成される。(p59~60)』

 

 

こうしたことは、その後の30年間で現実に起こった。そしてわれわれは、資本主義とのこの「主観性の生産」をめぐる闘いに、概ね敗北してきたことを認めねばならないだろう。

また、当時はまだ無かったSNSというものも、今やこうした支配力の一つになりうるものとして、警戒が必要であろう。もちろん、あらゆるメディアと同様、それを「民衆の手に」という願望を失ってはいけないけれども。

ともあれ、コロナウイルスを奇禍として(「ピンチをチャンスに」?)、ほぼ30年ぶりに支配と搾取の新たなヴァージョンへの本格的転換を図っているかのようにも見える、資本と各国政府に対峙するにあたって、ガタリがここで示している基本的な姿勢を心に刻んでおくのは、意味のあることだろう。

 

 

『あらゆる性質、あらゆる規模の作用因子によってつくり出される資本主義的主観性は、世論の機能を狂わせ混乱させうるいっさいの出来事の侵入から既存の生活を防護するような仕方で加工生産される。資本主義的主観性にしたがうと、いっさいの特異性は回避されるか、あるいはそのためにしつらえられた基準的な装備や枠組の支配下におかれなくてはならない。かくして資本主義的主観性は子供や愛情や芸術の世界とならんで、不安、狂気、苦痛、死、宇宙のなかの彷徨感覚といったような次元に属するものまで、いっさいのものを管理しようとする。(p42~43)』

 

 

『再特異化の主観性が欲望や苦痛や死といったようなすがたをまとった有限性との遭遇を真正面からうけとめることができるようにならなければならない。(p70~71)』

 

 

三つのエコロジー (平凡社ライブラリー)
 

 

カール・ポランニー『経済の文明史』

 

経済の文明史 (ちくま学芸文庫)

経済の文明史 (ちくま学芸文庫)

 

 

カール・ポランニーが、市場メカニズムに支配された19世紀以後の自由主義的資本主義を批判して、「労働、土地、貨幣」の三つの擬制(フィクション)ということを言ったのは、よく知られている。

この三つは、産業資本主義(それが自由主義的資本主義、つまり市場メカニズムの支配を要請したのだ)の基盤をなす条件のようなものだが、あらゆるものを商品化する自由主義的資本主義は、それら「基盤」をも「商品化」してしまう。だが、それらは本来、商品化できるはずのないものである。だから、それを擬制(フィクション)としての商品と呼ぶわけである。

ポランニーは、労働とは実際には人間のことであり、土地とは自然のことだとも言っている。

労働(人間)、土地(自然)、貨幣という三つの基盤を商品化して破壊するという行為によって、市場メカニズムに支配された経済システムは、社会(そして自然)に甚大な破壊をもたらす。ポランニーの思想を、このような警告として読むことは、現在、とくに求められることだと思う。

ポランニーが、このような考え方を作っていったのは、第一次大戦後の、グローバルな資本主義の拡大に伴う重層的な破壊が顕著になった時期だった。それは、戦災や流行病の世界的蔓延のみならず、戦時の信用経済の肥大が原因となった大恐慌からファシズムの台頭、そして第二次大戦という時々の現象を追ってはいたが、こうした一連の破壊の根底にある力が何であるかを、ポランニーは常に見つめ続けたわけである。

彼の思想が、近年また多くの人に想起されたのは、2008年のリーマン・ショックの時だった。この時は、「労働、土地、貨幣」のうちの貨幣に焦点があてられたわけだが(実際、ポランニーの貨幣論は多くの人に影響を与えただろうが)、今回は、残りの二つについて特に考えざるをえないだろう。だがもちろん、これら三つの要素の根底にある破壊の原動力は一つなのだが。

たとえば1944年に書かれた次の文章を読むとき、ポランニーの根源的な洞察の鋭さに、あらためて震撼せざるをえない。

 

 

 

市場メカニズムが人間の運命とその自然環境の唯一の支配者となることを許せば、いやそれどころか、購買力の量と用途の支配者になることを許すだけでも、社会の倒壊を導くであろう。なぜなら、商品とされる「労働力」は、この特殊な商品の担い手となった人間個人に影響を及ぼさずには、これを動かしたり、みさかいなく使ったり、また、使わないままにしておいたりすることさえできないからである。このシステムは、一人の人間の労働力を使う時、同時に、商札に付着している一個の肉体的、心理的、道徳的実在としての「人間」をも意のままに使うことになるであろう。文化的制度という保護の覆いを奪われれば、人間は社会に生身をさらす結果になり、人間は、悪徳、倒錯、犯罪、飢餓などの形で、激しい社会的混乱の犠牲となって死滅するであろう。自然は個々の要素に還元されて、近隣や景観はダメにされ、河川は汚染され、軍事的安全は脅かされ、食糧、原料を産み出す力は破壊されるであろう。最終的には、購買力の市場原理が企業を周期的に倒産させることになるであろう。というのは、企業にとって貨幣の払底と過剰が、原始社会にとっての洪水や旱魃と同じくらいの災難になるであろうからである。たしかに、労働市場、土地市場、貨幣市場は市場経済にとって本質的なものであることは疑いない。しかし、ビジネスの組織だけでなく、社会の人間的、自然的実体が、粗暴な擬制のシステムという悪魔の碾臼の破壊力から保護されなければ、いかなる社会も、そのような粗暴な擬制のシステムの力に一時たりとも耐えることはできないであろう。(「自己調整的市場と擬制商品―労働、土地、貨幣」)

 

 

『官僚制のユートピア』

 

 

新自由主義に覆われた今日の世界のあり方を、(一般的な見解とは異なって)全体主義的官僚制(その最大の王国は米国)と定義し、批判する内容。

全編にわたって非常に面白く、重要なことばかり書いてあるのだが、僕は特にこの官僚制(=

新自由主義)の世界における、想像力の不均衡を論じた、最初の章の論考にひきつけられた。

ここで著者は、自身の人類学者としての、マダガスカルのポスト・コロニアル社会についての知見とともに、フェミニズム理論の成果に多くを負いながら論を展開している。

 

 

『この論考の主要な対象は、暴力である。ここで論じたいのは、暴力によって形成される状況は、官僚制手続きにふつうむすびつけられているさまざまな種類の自発的盲目を形成する傾向にあるということである。ここでいう暴力とはとりわけ構造的暴力である。構造的暴力という言葉でわたしの意味しているのは、究極のところは物理的危害の脅威によって支えられた偏在的な社会的不平等の諸形態である。(p81)』

 

 

この事柄を説明する為に、著者は一つのSF的な寓話を語る。ある惑星で、高度なテクノロジーと軍事力をもった好戦的な種族、アルファ族が、温厚な別の部族、オメガ族の(豊かな資源を持つ)土地を侵略・支配したうえで、支配のための宗教的イデオロギーを作り出してオメガ族の人々に流布する。アルファ族は優秀で美しく正しい故に支配者であり、オメガ族は劣っている故に支配されるのが当然だというイデオロギーだ。支配されたオメガ族の人々を外見的にみると、あたかもこの押しつけられたイデオロギーを信じ込んでいるかのようである。

 

『たぶんある意味で、かれらは本当にそう信じている。だがより深くみると、かれらが本当に信じているかどうなのかを問うことにはさして意味がない。この仕組み総体が、暴力の果実であり、継続的な暴力の脅威でもってのみ維持可能なのであるから。実際には、オメガ族はよくわかっている。もし、だれかが、この財産所有の仕組みや教育へのアクセスに直接に挑戦しようものなら、刀剣がふりかかってきてその人間の頭を切り払ってしまうだろうことは、ほぼ確実である、と。このような事例において「信じる」ということで語られていることがらは、この現実にみずからを適応させるために、人びとが発達させた心理学的技術にすぎない。もしなんらかの理由でアルファ族が暴力という手段を自由に操ることができなくなったとして、オメガ族の人びとがどのようにふるまうのか、どのように考えるのかについて、わたしたちはなにもわからないのだ。(p83~84)』

 

 

 

暴力の脅威に支えられた、このような支配と不平等の構造がもたらすのは、想像力の不均衡という事態だと、著者は言う。

支配される側が、支配する側に対して、生存をかけた鋭い洞察を行い、ときとして、そこに想像力にもとづく人間としての強い共感さえ覚えるのに対して、支配する側、特権を有する側には、支配される側への想像力が働かない。いわば、支配する側(マジョリティー)においてそれ(想像力・人間性)は、構造的に剥奪されているのだ、自分自身が手放さずにいる特権性によって。

 

 

『主人と召使いであろうと、男性と女性であろうと、雇用者と被雇用者であろうと、富者と貧民であろうと、構造的不平等―構造的暴力とここで呼んできたもの―は、例外なく、高度に偏りのある想像力の構造を形成してしまう。おもうに、想像力は共感をともなう傾向がある、とするスミスは正しい。だから、構造的暴力の犠牲者は、構造的暴力の受益者が犠牲者たちを気遣うよりもはるかに多く、受益者を気遣う傾向があるのである。暴力そのものに次いで、こうした[不平等な]諸関係を維持する単一の最大の力が、これ[この想像力の構造]であろう。(p102)』

 

 

著者が呼びかけるのは、想像力の(奪回の)ための、想像力にもとづく、社会体制との闘いだ、と言えばよいだろうか。

 

『先史学者プラトン』

先史学者プラトン 紀元前一万年―五千年の神話と考古学

先史学者プラトン 紀元前一万年―五千年の神話と考古学

 

 

とにかく面白い本だ。

内容も驚きの連続だし、原著が素晴らしいのだろうが、訳文も、図の置き方など本の構成も至れり尽くせりというほど読みやすい。

内容について、まず驚かされるのは、旧石器時代の文化が、想像を越えて発達したものだったという、これは立証されているらしい事実だ。なかでもラスコーの壁画が、本書では大きな役割を果たすのだが、他にもたとえば、二万年も前の人たちが動物を飼育し、手綱や馬具をつけて馬に乗っていた形跡があるとか、パレスチナのエリコから出土した塔の付いた巨大な要塞風の壁が一万年近くも前のものであるとか、考古学の知識に疎い僕には、驚きの連続である(人間はこんなに大昔から巨大な「壁」を作ってたのかと、ウンザリもするが)。

こうしたことをもとに、著者は本書の前半で、いわゆる新石器革命に重きを置く直線的な進歩史観のようなものに反論を呈するのである。

それは、プラトンの書物に出てくる約一万年以上前についての伝説風の物語(アトランティスと超古代アテネとの大戦争)を、歴史の事実を反映したものとして受けとって、その証拠を探してくるという大胆な手法による。具体的には、紀元前8500年頃に広大な地域(ヨーロッパ全域、ウクライナ、中東、北アフリカなど)を舞台にして行われた大戦争と、その後の洪水や海面上昇などの気候変動によって、それまで存在していた旧石器時代の高度な文化とその痕跡が失われてしまったのだ、という仮説だ。

この大戦争の証拠として、著者は、武器や傷ついた人骨などの戦闘を想起させる出土品が、この紀元前8500年前後という一時期に集中して、上記の広範囲な各地から見つかっていることをあげている。鏃(やじり)や鎌などの、従来は狩猟や農耕に結びつけられて考えられてきた物品も、状況を考えると武器と捉えた方が整合性があるのだという。また、それ以後の時代の埋葬形式や壁画などから、戦勝の記憶と「戦士崇拝」の伝統を読みとっていく。

 こうした著者の観点は、進歩史観に対する循環史観と呼べるようなものだ。技術の発達がもたらす戦争の繰り返しと、やはり周期的に訪れてきた気候変動によって、一定の高度な段階に達していた旧来の文化は、何度も消滅し、また復活を繰り返すのだという考え方。

 著者は、ラスコーの壁画に代表されるマドレーヌ文化と呼ばれる旧石器時代の文化を称揚し、そうした高度な文化や芸術が、やがて大規模な戦争への誘惑に傾くことで堕落し、消滅に向かっていったと語るのだが、こうした歴史への見方(戦争への意志が文化を堕落、消滅させる)は著者の核心にあるもののようだ。

 それは、今の時代の気分に訴えかけてくるものであることは確かである。たとえば、本書の初めの方に引用されている「アトランティス」伝説についてのプラトンの記述を読むと、この大西洋の彼方にあって、繁栄の後に滅亡した大帝国とは、今のUSAの姿を予言したものではないかと思えてしまう(ちなみに原著の出版は1980年代らしい)。

 

『しかし、彼らの内にある神の要素は、死すべき人の子との交わりが増えるに従って弱まってゆき、人間の特性が前面に出るようになると、彼らは節度ある繁栄を進められなくなったのです。洞察力を備えた人の目には、彼らの衰退がいかに深いものであったかは明らかすぎるほどです。他方でなにが本当の幸福かを判断できない者の目には、放任された野心や権力の追求が、彼らの名声と盛衰の絶頂に見えたでしょう。(プラトン『クリティアス』より)』

 

 

 ところで、こうした著者の議論の大きな特徴は、科学的データに基づく考古学の膨大な物証を、神話学の知見を動員して推理しまとめ上げていくというものだ。いわば、神話的想像力の援用による太古の歴史的現実の再構成。

 ここにもちろん、本書の危うさもあるのだろうが、極めて魅力に富むものであることも間違いない。たとえば、ラスコー洞窟の「聖域」に描かれている壁画の意味を、インド=ヨーロッパにあまねく分布している「原初の牡牛」の創世神話に結びつけていくくだり(p169~172)のスリリングさなどは、見事の一語に尽きる。

 遠い昔の記憶(出来事)を語るためには、それに最もふさわしい語り方を編みだすことが不可欠であるという意味のことを、プラトンの書物の登場人物たちは言っているのだが、本書の叙述は、まさにそれを実践しているともいえる。

 

 

 さて、本書の後半では、上記の大戦争から約二千年後、新石器時代に移行して後のある時期(紀元前6000年代)に起きた「遊牧から農耕・定住」へという大きな変化の原因が探られることになる。

 この時期、ペルシャから中東を経て南東ヨーロッパにまで及ぶ広大な地域で、多くの人々が遊牧や狩猟の生活を棄てて農耕にシフトするということが起こった。ところが、この農耕生活というものは、それ以前の生活の仕方と比べて、豊かでも安定的でもなかったことが分かってきたのだという。では、なぜこの時期に人々はこのシフトを行ったのか。

 著者の推論は、それは宗教の力によるものだ、ということである。それまでの原初的で供犠的(デュオニソス的)な信仰を否定して、自然の循環を「正しい道」として敬うような信仰の登場と拡大が、それをもたらした。

 著者はここで、初めての世界宗教とも呼ぶべきゾロアスター教の教組であるザラスシュトラが、紀元前6000年頃に既に存在していたという古い伝承に着目し、さらに大胆な議論を展開していく。

 その内容は、やや思弁的でもあり複雑で、僕には整理することが難しいが、やはり非常に興味深いものだ。

 僕は特に、次のような一節が印象的だった。

 

『だが、地下の神々を表す主題―牡牛、ヘビ、ヒョウ、「踊り手たち」―が時おりのこととはいえ、メソポタミア文化の先導者たるハラフ土器に現れる(とりわけサマッラ土器には悪霊的な形象が現れる)のはどういうことなのか。これらはまったくもってザラスシュトラの宗教の初期において期待できないものだ。かの預言者は、おそらく当時あった自然信仰を糾弾した。実際、この時期の最初の数世紀のあいだ、イラン高原の土器では自然にまつわる主題が見られなくなった。だが、後期アヴェスタのヤシュトによってすでに確認したように、古イランの宗教がもっているディオニュソス的側面は、ザラスシュトラの改革によって和らげられ、あるいは変形されたものの、根こそぎにされたわけではなかった(預言者はそうしたかったとしても)。あるイラン学者は、こうした古代信仰の要素はむしろ「いっそうの高みへと押し上げられ、その精神を浸透させたのである」と言っている。

 同じことは、ミトラ崇拝についても言える。それはザラスシュトラの時代より古いと考えられており、後期アヴェスタのゾロアスター教においても突出した役割も果たしている。先に述べたように学者たちは、この時代の戦士の神の信者が、いつかの時点で、預言者による改革に従事する「十字軍」へと変わったのだと推論している。ミトラを太陽と同一視するようになったのもこれと同じ時期のことだろう(イラン学者のなかには、ミトラはもともと水に関連していたと考える者もある)。 (p362)』

 

 これはもちろん、原初的な信仰の中にあった自然信仰が、ある形でザラスシュトラの宗教に取り入れられ、それが農耕生活という選択、また自然の秩序と「正しい道」の重視という人倫的な、あるいは現在の言葉でいえばエコロジー的な思想にもつながっていったということを述べているのである。 

 だが裏返して言うと、それは、この人倫的なもの、エコロジー的な考え方のなかに、デュオニソス的な荒々しい何かが残存しているということ、だからこそ、それは多くの人々を引きつけ心服させたのだということも意味しているのではないだろうか。

 だとすれば、どんな高度で人倫的な文化の中にも、つねに「野蛮」と戦争への巨大な欲望がうごめいていることを、われわれは常に自覚している必要があるということになるのだろう。

 

 

 最後に、この本を読みながら想起した別の本を何冊か挙げておこう。

 まず、これも最高に面白い歴史の本、ジョナサン・ハリスの『ビザンツ帝国 生存戦略の一千年』。これは、『先史学者プラトン』で扱われたのとかなり重なる地域の歴史の話だが、権力闘争や、文化や民族の移動と混交のあり様もダイナミックに描かれていて、やはりグローバル化した現代世界の状況とオーバーラップするところが多い。たとえば、後にスターリン政権が行なったような国内の少数民族を戦略上の理由などで遠隔地に強制移住させる政策が、はるか昔から行われていたことを知ることが出来る。

 次に、歴史に対する神話的想像力の「奪回」という意味では、石母田正が序文を書いた武者小路穣の名著『物語による日本の歴史』。

 https://arisan-2.hatenadiary.org/entry/20161004/p1

 

 僕はこの本で、古事記竹取物語に内包されている、すぐれて反天皇制的な力を知ることが出来た。

 同じような意味で、戦前の日本児童文庫(アルス)の『日本昔話集』に収められ、弾圧下の羽仁五郎が1940年に書いた「日本文学と歴史」という論考の中に引用した、台湾の原住民の神話、いわゆるセデック・バレの物語(佐山融吉訳)。この日本語訳と紹介・受容は、もちろん日本のアジア侵略と切り離せないものだろうが、同時に、戦時下での抵抗、「反日」のメッセージの表現としても、これを読むことが出来るのではないだろうか(若者たちが苦難の末に太陽を打ち倒す物語だ。)。羽仁のこの文章は、『羽仁五郎歴史論抄』(筑摩書房)に収められている。

 最後に、新井白石の『本朝軍器考』。このなかで白石は、固定して矢を放ついわゆる弩(おおゆみ)や石弓という強力な兵器が、日本ではある時期(源氏と安倍貞任の軍勢が東北で戦った頃)までしか多用されず、その後は次第に姿を消していったことに注目して論じている。このことは、今日の研究では、大和朝廷と他の部族との大規模な戦闘がこの時期に終了し(よく知られているように、安倍貞任蝦夷である)、以後は源平に代表されるようないわば「内輪」の小規模な戦争が主となったことが理由と考えられているようだが、江戸時代前期にすでにこうした事柄に注目していた白石の直観力は、さすがだと思う。